翻訳と辞書
Words near each other
・ 原古処
・ 原古墳
・ 原古處
・ 原古賀町
・ 原句
・ 原史奈
・ 原史時代
・ 原史考古学
・ 原司郎
・ 原吉実
原吉平
・ 原吉彦
・ 原向駅
・ 原告
・ 原告対被告
・ 原告適格
・ 原味の夏天
・ 原味的夏天
・ 原和男
・ 原品


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

原吉平 : ミニ英和和英辞書
原吉平[はら きちへい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm

原吉平 : ウィキペディア日本語版
原吉平[はら きちへい]
原 吉平(はら きちへい、1900年(明治33年)1月15日 - 1986年(昭和61年)5月30日)は、日本の実業家大日本紡績社長、ユニチカ初代会長。日本貿易振興会(ジェトロ)理事長。
==経歴==
博多商人原勝三郎の長男として、福岡市警固に生まれる。福岡県立中学修猷館を卒業し、県費生として東亜同文書院に進み、1921年に卒業後、大日本紡績大阪本社に入社する。
大日本紡績において営業コースを進み、1927年、外務省東亜経済調査団員として、東アフリカ、ポルトガル領東アジア、マダガスカル、エチオピア、インド、ビルマと広く視察し、これが後の原の国際感覚に大きく影響を及ぼしている。当時の大日本紡績社長小寺源吾にも見込まれ、業務部副部長、商務部副部長を歴任後、1946年12月、取締役となり、1947年、常務取締役を経て、1949年4月、社長に就任する。時に49歳であった。統制経済には一貫して反対し、社長時代は、戦後の繊維製品の統制撤廃に尽力した。1968年12月、同会長となり、1969年10月、ニチボー(1964年に大日本紡績が改称)と日本レイヨンが合併してユニチカが誕生すると、初代会長に就任する。1970年4月、同相談役となる。
1953年、関西経済同友会代表幹事に就任し、その後関西経済連合会常任理事、経済団体連合会理事などを歴任して、1969年11月、日本貿易振興会(ジェトロ)理事長に就任し1974年7月まで務めている。
「スポーツが一流なら社運も伸展する」という信念で、1960年代に世界最強といわれ、「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーボールチーム「ニチボー貝塚」を育成している。
1959年、藍綬褒章、1970年4月、勲二等旭日重光章、1975年6月、勲一等瑞宝章を受章する。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「原吉平」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.