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原弘 : ミニ英和和英辞書
原弘[はら ひろむ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation

原弘 : ウィキペディア日本語版
原弘[はら ひろむ]

原 弘(はら ひろむ、1903年6月22日 - 1986年3月26日)は昭和期の日本を代表するグラフィックデザイナーの一人。
ヨーロッパで開花した近代タイポグラフィー運動『ノイエ・ティポグラフィー』の理念を支持しながら、日本の活字文化で独自の表現の確立を志し、原はこれを『僕達の新活版術』と呼んだ〔川端直道『原弘と「僕達の新活版術」 活字・写真・印刷の一九三〇年代』〕。原のデザインスタイルは理論的に組立てるもので、作家性のあるものではなく、依頼者側に立ち、装幀ポスター、パッケージなどを数多く手がけた。生涯に手がけた出版物の総数は、雑誌の表紙デザインなども含めれば、おおよそ3000点近くにもおよぶ。
特に装幀において高く評価されており、1940年代末から1970年代半ばまで装幀者として第一線で活躍。出版界に一時代を築いた。美術評論家の勝見勝は原を『ブックデザインの天皇』と評している〔川端の出典:グラフィックデザイン第三十九号〕。
原は日本デザインセンターの創設に参画し、デザインビジネスの最前線で活躍するかたわら、美術大学で教鞭を執るなど教育者としても知られている。
デザインに用いられる「」についても、早い段階から重視しており、1959年から1972年にかけて、紙商社である竹尾洋紙店(現株式会社竹尾)と洋紙の開発を行い、『パンドラ』、『サーブル』、『フロッケン』などの紙を生み出した。
== 年譜 ==

*1903年6月22日 - 長野県下伊那郡飯田町(現・飯田市通り町)で印刷業を営む原四郎の三男二女の長男として生まれる。
*1910年 - 飯田町立飯田尋常高等小学校に入学。
*1916年 - 長野県立飯田中学校(現長野県飯田高等学校)に入学。
*1918年 - 飯田中学校の二学年修了後、同校を中退。単身上京し、叔父で早稲田大学の英文学者である岡村千曳宅に下宿。4月に東京府立工芸学校(現東京都立工芸高等学校)に新設された印刷科に入学(この科は19年に製版印刷科に改称)。
*1921年 - 3月に同校製版印刷科を卒業。4月に同校製版印刷科の助手となる。
*1932年 - 東京府立工芸学校の教諭と並行して、同校製版印刷科の卒業生有志と東京印刷美術家集団を結成し、原が代表を務める。同人組織の日本工房を設立し商店建築の設計や内装を手がける。
*1934年 - 日本工房を離脱、中央工房を結成。
*1941年3月 - 東京府立工芸学校の教諭を辞職し、授業嘱託となる。7月頃同校を退職。
*1941年 - 東方社に入社。美術部長に就任、雑誌『FRONT』のアートディレクションを行う。
*1945年 - 東方社を退職。
*1947年 - 造形美術学園(現武蔵野美術大学)の実用美術科の教授に就任。
*1951年 - 日本宣伝美術会の設立に参加。
*1952年 - 武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)商業美術科の主任教授に就任。
*1955年 - グループ展『グラフィック'55』に河野鷹思亀倉雄策伊藤憲治大橋正早川良雄山城隆一ポール・ランドとともに参加。次世代のデザイナーに大きな影響を与えた。
*1960年 - 3月に日本デザインセンター亀倉雄策等と設立。取締役となる。(1969年に専務取締役、1969年に取締役社長に就任)。 5月に開催された世界デザイン会議・東京の日本実行委員会委員長として広報を担当。
*1961年 - 東京アートディレクターズクラブの会員となる。
*1964年 - 東京オリンピックのデザイン懇談会委員を務める(諮問されたのは1960年)。
*1966年 - 札幌オリンピックのデザイン委員になる。
*1968年 - 愛知県立芸術大学の非常勤講師になる。
*1970年 - 武蔵野美術大学教授を辞任。九州芸術工科大学の非常勤講師になる。。
*1974年 - 日本出版学会に入会。常任理事となる。
*1975年 - 東南アジアの旅行中に倒れ帰国後に入院。日本デザインセンターの代表取締役社長を辞任し、顧問に就任。九州芸術工科大学の非常勤講師を辞任。
*1981年 - 武蔵野美術大学の名誉教授に就任。
*1986年3月26日 - 自宅で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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