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原 悦子(はら えつこ、1956年4月1日 - )は、日本の女優。 新潟県新潟市出身、相模女子大学高等部卒。日活ロマンポルノの黄金期を支えた重要な女優の一人である。 当時は「原悦子大明神」と言われるほど人気を博した、元祖ポルノ・アイドルであった。 == 来歴 == 本名(広橋寿美栄=ひろはしすみえ)。デビュー時の芸名は「広橋すみれ」。 俳優を目指して大映芸能学院で演技の勉強をし、テレビCM等で活躍していたが、1976年、平凡出版(現マガジンハウス)より発行された平凡パンチ誌上のメイトクラブで、メイト・ガールとしてグラビアでデビュー。 同年、大蔵映画制作のピンク映画へ出演。それを境にポルノ女優へ転身すると、その清純さと飾り気の無い笑顔が話題を呼び、日活ロマンポルノへ活動の場を移したのちには数々の作品が大ヒットを記録、絶大な人気を博した。 メイト・ガール出身であったためか、当時のポルノ女優としては珍しくアイドル路線の売り出しかたをされたため、大学生を中心に若年層を劇場へ呼ぶことに成功。観客の年齢層が高く、集客に伸び悩んでいたポルノ産業へ新風を吹き込むきっかけとなった。 当時、ファンクラブである「原悦子フレンドクラブ」の会員は37万人にも及んだ。その人気にまつわるエピソードとして、武道館での大サイン会があり、彼女は多くの学園祭などにもひっぱりだこだった。 1978年には第一回学生アイドル大賞を受賞。この年には日劇ミュージックホールで「愛とエロスのファンタジア」の舞台を踏む。同年、平凡パンチ創刊15周年を記念した企画「原悦子日本の旅」が各誌、週刊誌で話題を呼んが、これは大阪、名古屋、福岡など日本を横断してサイン会と撮影が行われるイベントであった。 1980年には、にっかつ制作の一般映画、「おさな妻」へ主演。劇場は18歳未満の若者、そして女性の観客で埋まる。尚、ロマンポルノを引退した理由は一般映画、TVへ活躍の場を広げるためであったが、他には、にっかつから「本番(セックス)」を求められるようになったからだと、インタビューで答えている。また「愛の妖精」など、レコードも吹き込んでいる。 引退後は、大学生向けのフリーペーパー「カレッヂ・コミュニティ」を立ち上げる。事務所は銀座の外れにあり、編集長として長年奔走するが、現在は休刊。原本人は、学童保育の指導員の資格をとり、活躍中。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「原悦子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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