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原 正市(はら しょういち、1917年8月28日 - 2002年10月19日)は、日本の水稲専門家で、中国での水稲栽培の改善・収量増加を指導し、北海道日中友好協会顧問を務めた。 ==概要== 北海道岩見沢市出身。北海道帝国大学農学部卒業。1952年から1974年まで北海道庁に勤務、その後、北海道農業協同組合中央会に1982年まで勤務した。1879年6月、農業視察団の副団長として中国を訪問した原は現地の農家が種籾を直接、田に撒いていたので農業の指導を行い、「畑苗移植法」の栽培技術を伝えた。黒竜江省を皮切りに中国25省151県を21年間で63回訪問、水稲の栽培技術を教え続けた。1982年から2002年までの21年間に中国に滞在した日数は、1522日に及ぶ。この栽培技術を用いる事により面積あたりの収量が2倍が可能となる。また、北海道と同様の寒冷地である黒竜江省だけでなく華南においても有効である事が実証され、中国全土に広まった。中国全土では、原の指導により、米が200万トン以上増産されたされる。現在では、原の指導した手法が中国の水稲の作付け面積の50%以上で実践されており、中国の人々からは「洋財神(ヤンサイシェン)」(外国から来て懐を豊かにしてくれた神様)と呼ばれ、慕われた。 原の貢献に対し、中国政府は1996年5月14日「国際科学技術合作賞」を贈った〔授賞式の様子 〕。1998年に当時の中国国家主席江沢民が訪日して北海道に来た際に原と面談している。 2002年10月19日、がん性腹膜炎により北海道岩見沢市の病院で死去〔原正市氏死去 北海道日中友好協会顧問 (47NEWS)〕。享年85。 島田ユリ著による伝記「洋財神 原正市」が1999年12月に私家出版され、2009年に中国語版「待到稲花飄香時」が中国にて出版された〔北海道新聞「中国で稲作指導20年 故原さんの足跡、翻訳本に 」2009年4月11日〕。 北海道テレビ放送が原を特集したドキュメンタリー番組「大地を黄金色に変えた~原 正市が結んだ日中の絆~」を作成、2008年12月31日に放送した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「原正市」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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