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原田 浩平(はらだ こうへい, 1983年6月25日 - )は、大阪府大阪市出身のフットサル選手。日本フットサルリーグ(Fリーグ)のデウソン神戸所属。ポジションはピヴォ。フットサル日本代表。 == 経歴 == 小学5年生時にサッカーを始め、主に左サイドハーフやトップ下としてプレー。スポーツ推薦で清風高校に進学し、高校ではキャプテンを務めた。大阪体育大学でもサッカー部に所属していたが、友人に誘われて4年時にフットサルをはじめ、大学卒業後にはブラジル・サンパウロ州に短期留学してプロフットサルチームの練習に参加〔。帰国後には京都府1部リーグのリンドバロッサに所属し、フットサル場のアルバイトをしながら泉佐野市内に住んでいた。 2007年のFリーグ発足が決定すると、リンドバロッサ・セレゾン神戸(兵庫県)・セレゾン浜松(静岡県)の3チームが提携し、デウソン神戸を設立してFリーグに参加。清風高等学校時代の先輩だったデウソン神戸GMの上永吉英文に声を掛けられてデウソン神戸とプロ契約を交わし、デウソン神戸の練習場に近い神戸市のポートアイランドに移り住んだ〔得点王へ けがけっ飛ばせ 原田浩平(フットサル) 朝日新聞 2009年1月22日〕。2007-08シーズンにはベスト5。2008年にはフットサル日本代表として2008 AFCフットサル選手権に出場。2008-09シーズンは1月中旬までに17試合出場15得点で得点ランキング2位につけていたが、1月18日のステラミーゴいわて花巻戦で左膝前十字靱帯を負傷。2008-09シーズンの得点ランキングはバルドラール浦安の稲田祐介に次ぐ2位(タイ)だった。手術を受けて約9ヶ月間チームから離脱し〔vol.28 原田浩平(フットサル選手) 橋本英郎 2010年12月2日〕、2009-10シーズンの3順目にようやく復帰した。 2010-11シーズンからはキャプテン。2015年5月31日の府中アスレティックFC戦で200試合出場(200試合登録)を達成〔原田浩平選手(神戸)Fリーグ通算200試合出場達成 Fリーグ 2015年6月1日〕。Fリーグ史上12人目。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「原田浩平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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