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原 辰徳(はら たつのり、1958年7月22日 - )は、日本の元プロ野球選手(内野手・外野手)。元プロ野球監督。解説者。読売ジャイアンツ球団特別顧問。第15代・第17代読売ジャイアンツ監督、WBC第2回大会(2009)日本代表監督を務めた。福岡県大牟田市生まれ、神奈川県厚木市育ち、相模原市(現南区)出身〔〔『12球団全選手カラー百科名鑑』2004年・2005年版の解説者名鑑では、出身地の項に「福岡県大牟田市-神奈川県相模原市」と記載。〕。 1980年代から1990年代中盤にかけて巨人の4番打者を務め、ON時代後の巨人を支えた。入団から12年連続で本塁打20本以上を記録し、4番としての出場試合数は球団歴代4位である。監督としてもチームを7度のリーグ優勝と3度の日本一に導いている。2009年にはワールド・ベースボール・クラシック日本代表の監督を務め、世界一に導いた。 また、2008年より国際武道大学の客員教授も務める〔名将に学ぶリーダーシップ論──原 辰徳(読売ジャイアンツ監督) 2013年5月7日 GQJAPAN〕。愛称は「(永遠の〔参考:『原辰徳のいきいきトーク』番組公式サイト(インターネット・アーカイブ保存キャッシュ) * 2004年10月当時 (2004年10月13日付キャッシュ) * 終了直後 (2006年1月12日付キャッシュ) 〕・平成の)若大将」〔。 父は東海大学付属相模高校や東海大学硬式野球部などで監督を務めた原貢。辰徳と同じく東海大相模高校・東海大学の野球部に所属し、巨人に入団した菅野智之は甥(妹の子)にあたる。 == 年表 == 詳細は以下の#来歴を参照。 * 1958年 - 福岡県大牟田市に生まれる。 * 1974年 - 東海大相模高校入学。 * 1977年 - 東海大学入学。 * 1980年 - プロ野球ドラフト会議にて読売ジャイアンツに入団が決定 * 1981年 - 東海大学卒業。読売ジャイアンツに入団。 * 1995年 - 現役引退。 * 1996年 - 解説者、評論家としての活動を開始。 * 1999年 - 読売ジャイアンツの野手総合コーチに就任。 * 2001年9月 - 第15代読売ジャイアンツの監督に就任(2003年まで)。 * 2004年 - 読売ジャイアンツ特別顧問に就任(2005年まで)。 * 2005年10月 - 第17代読売ジャイアンツの監督に就任(2015年まで)。 * 2009年 - 第2回ワールド・ベースボール・クラシック日本代表の監督に就任。 * 2013年 - 第3回2013 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表のシニアアドバイザーに就任。 * 2016年 - 読売ジャイアンツ特別顧問に就任〔原辰徳前監督の特別顧問就任について 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「原辰徳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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