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厨川 白村(くりやがわ はくそん、1880年11月19日 - 1923年9月2日)は、日本の英文学者、評論家。本名・辰夫。 == 生涯・人物 == 京都市生まれ。東京帝国大学英文科卒業、第五高等学校、第三高等学校教授ののち、1917年、病没した上田敏の後を受けて京都帝国大学英文科助教授となる。19年、教授となるが、この頃足に黴菌が入り左足を切断、23年の関東大震災に際し、鎌倉の別荘にあって逃げ遅れ、妻とともに津波に呑まれ、救助されたが泥水が気管に入っていたため罹災の翌日死去した(厨川蝶子「悲しき追懐」)。 『象牙の塔を出でて』のほか、朝日新聞に連載した『近代の恋愛観』は、いわゆる恋愛至上主義を鼓吹し、ベストセラーとなって、当時の知識層の青年に大きな影響を与えた。のち中国語訳され、第二次大戦後の中国青年にも大きな影響を与えている。『近代の恋愛観』などは、1960年頃までは読まれていたが、現在では当たり前のことが書いてあるようにしか見えないため、ほとんど読まれていない。 なお白村自身は、親に縁談を勧められて断ったが惜しくなり、その女性宛の原稿をいくつも発表して結婚にこぎつけたとされている(『朝日新聞記事にみる恋愛と結婚』)が、真偽のほどは定かではない。 慶應義塾大学教授をつとめた英文学者、厨川文夫は長男。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「厨川白村」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kuriyagawa Hakuson 」があります。 スポンサード リンク
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