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厳 光(げん こう、紀元前39年 - 41年)は中国・後漢時代初期の隠者・逸民。字は子陵、別名は遵。 == 略伝 == 会稽郡餘姚県(浙江省余姚市)の出身。若くして才名あり、のちの光武帝となる劉秀と同門に学ぶ。劉秀が皇帝となると、厳光は姓名を変えて身を隠した。光武帝はその才能を惜しみ行方を捜させたところ、後斉国で羊毛の皮衣を着て沢の中で釣りをしているところを見いだされて、長安に召し出された。宮中の作法に詳しい司徒の侯覇が厳光と親しかったが、厳光は細かい礼に従わず、光武帝はそれでも「狂奴故態を改めず」と笑っただけだった。それどころか自ら宿舎に足を運んで道を論じたという。ある夜、帝と光がともに就寝し、光が帝の腹の上に足を乗せて熟睡し、翌日大夫がその不敬を奏上して罰しようとしたが、帝は「故旧とともに臥したのみ」とこの件を取りあげなかった。諫議大夫に挙げられたがこれを断って富春山(浙江省富陽県)で農耕をして暮らし、その地で没する。光武帝はその死を悲しみ、厳光が亡くなった郡県に詔して銭百万と穀千斛を賜った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「厳光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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