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及川 宣士(おいかわ のぶじ、1944年6月8日 - )は、岩手県釜石市〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、94ページ〕出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 == 来歴・人物 == 東北高校では1961年、2年生の時に夏の甲子園に一塁手として出場〔。2回戦で岐阜商に敗退。高校同期に日下正勝左翼手、村上宏通二塁手(阪急)がいる。翌年の夏は東北大会準決勝に進出、リリーフとして登板するが、保原高に敗れ甲子園出場を逸した。 1963年に大洋ホエールズに入団〔。一時は高橋重行らとともに整理対象寸前であったが、当時の別所毅彦コーチにドロップボールを伝授され蘇る。1965年4月にはこれを武器に一軍で初先発、阪神タイガースを完封し初勝利を飾る。同年は先発陣の一角として9勝を挙げた。その後も毎年30試合前後に登板するが、結果を残せず段々と登板機会を減らす。1973年に太平洋クラブライオンズへ移籍、この年を最後に引退した〔。オーバースローから重い球を投げ込み、球種はスライダー、カーブ、シュート、落ちる球であった。 1965年にはシーズン最多暴投(14暴投)のプロ野球タイ記録〔。1965年~1967年まで3年連続でシーズン最多暴投を記録する。 1978年、岸和田リトルの栄川良秀監督から、抜群の素質を持つ小学生、清原和博の指導に関して相談を受ける。岸和田シニアの監督である及川が、特別コーチとして、当時の清原の弱点であった下半身強化のための特別な練習メニューを作り指導した。清原の中学入学後も、及川は岸和田シニアの監督として引き続き清原を指導した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「及川宣士」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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