|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 双 : [そう, ふた] 【名詞】 1. pair 2. set ・ 十 : [とお] 1. (num) 10 2. ten ・ 協 : [きょう] 1. (n-suf,n-pref) cooperation ・ 協定 : [きょうてい] 1. (n,vs) arrangement 2. pact 3. agreement
双十協定(そうじゅうきょうてい)とは、日中戦争の戦闘終結後、中国国民党と中国共産党とが締結した協定。両党が分裂している局面を終結させ、戦後中国に民主的な政権を樹立させることを目的に発表した会談の要旨で、民国34年(1945年)10月10日に調印されたことから双十協定と呼ばれる。正式名称は政府と中共代表の会談紀要(政府與中共代表會談紀要)。 == 背景 == 日中戦争終戦後、中国の平和的発展を脅かす外的要因が減少しつつあったことから、抗日という同一目標に向け共同作戦を採用したことで、戦争中には表面化していなかった中国国民党と中国共産党との間に政治矛盾が浮上してきた。東北、華北、中原の各地区では、国共両党の軍隊が都市統治権と戦略物資の接収をめぐって争いが展開されていた。その頃、ソ連は東北地区にあった元日本軍の兵器と戦略物資を獲得しており、これが林彪が率いる東北共軍に流れていた。一方、国民政府はアメリカから軍事援助を受け、アメリカ海空軍によって国民革命軍が華北、東北地方に展開され、両党は一部の地区で散発的な衝突を繰り返していた。 民国34年(1945年)8月、蒋介石主席は国民政府の呉鼎昌の提案を受け入れ、毛沢東に対して重慶で国内の和平問題について討議すべく三度にわたって会談を呼びかけた。 この呼びかけに応じた毛沢東と周恩来、王若飛は8月28日、アメリカのパトリック・ハーレー大使と共に延安から重慶を訪れ、中国共産党の代表として中国国民党の代表である王世杰、張治中、邵力子と会談を行った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「双十協定」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|