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双木 利一(なみき りいち、1878年3月2日 - 1939年8月8日)は、埼玉県の政治家。飯能町(現飯能市)長、双木八郎の長男。 1899年、埼玉師範学校を卒業し、川越市などの小学校長を経て、1904年、飯能尋常小学校(現飯能市立飯能第一小学校)校長となり、1916年早くも退職し、銀行員(川越貯蓄銀行飯能支店長)となった。銀行生活は長く停年まで続いたが、この間消防組頭として名高く、その後飯能町議になり、1926年6月飯能町長となった。 古来、飯能は飲料水に乏しく、市街が発展するにつれて悩みは深刻化した。彼は町長就任から飯能上水道の建設を考えて研究調査を始め、入間川の水を高所に押し上げそこから市街に送水する方式による工事計画を決定した。1930年、上水道布設の件とともに起債二十六万円が政府から認可された。工事は一斉に開始され、1932年1月試験送水に成功、工事完成は目前に迫った。このとき2月町長を任期退職した。なお、彼は工事計画の始まった1928年、町長のまま埼玉県議会議員となった(1932年退職)。他にも組合立実科女学校の県立移管(埼玉県立飯能高等学校)などの功績がある。埼玉県茶業組合連合会議所会頭などもつとめた。1939年没。享年62。 死後12年後の1951年、飯能市仲町広小路に銅像を清水多嘉示が製作した。 彼は社交人で、集まりによく出て、漫談に花を咲かせた。趣味は囲碁・謡曲などであるが、特に謡曲は、本場仕込みで門人も多い。また、スポーツの奨励家であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「双木利一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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