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叙任権闘争(じょにんけんとうそう、独:Investiturstreit)とは中世初期において特に神聖ローマ皇帝(俗権)がローマ教皇(教権)との間で司教や修道院長の任命権(叙任権)をめぐって行った争いのこと。 == 背景 == 古代末期以来、私領に建てられた聖堂(私有教会)や修道院が増えていったが、その種の聖堂の聖職者あるいは修道院長を選ぶ権利(叙任権)は土地の領主が持っていた。また、世俗権力が強大化していくと、その地域の司教の選出に対しても影響力を及ぼすようになっていった。これは少なからぬ教会財産の管理権を握ることと直結していたので世俗権力にとっても重要であった。中世に入ると、教皇権が伸張する中でこの叙任権をめぐる争いが頻発するようになっていった。 特に神聖ローマ帝国内では皇帝が司教たちの任命権を握って影響力を強くしていくことで、教皇選出においてまで影響力を持つに至った。しかし、俗権による叙任権のコントロールはシモニア(聖職売買)や聖職者の堕落という事態を招く一因ともなった。 10世紀にブルグント王国に創立されたクリュニー修道院に対する俗権からの影響力を否定した改革運動や、俗権による叙任を否定した教皇レオ9世、聖職者の綱紀粛正をはかった教皇グレゴリウス7世による教会改革は、教会に叙任権を取り戻そうという流れを生んでいった。ここに至って皇帝と教皇の間で叙任権をめぐる争いが行われるようになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「叙任権闘争」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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