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古久保 健二(ふるくぼ けんじ、1964年6月23日 - ) は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(捕手)、プロ野球指導者。 == 来歴・人物 == 太成高校を経て、のドラフト6位で近鉄バファローズに入団。に一軍初出場を果たす。 当時の近鉄捕手陣は10年以上に渡って主戦だった梨田昌孝、有田修三の「ありなしコンビ」に衰えが見え始めた頃で、年齢が近い山下和彦、光山英和、古久保の3人で次世代の正捕手争いを繰り広げることになる。、優勝がかかった10月19日の対ロッテオリオンズダブルヘッダー第1試合に途中出場するも9回表2死から代打・梨田が起死回生の勝ち越しタイムリーを放ち、9回裏に梨田がそのままマスクを被ったが、その前の捕手が古久保だった。なお古久保には代打は出されず、第1試合近鉄最後の打者でもあった(''10.19も参照'')〔さらば P22〕。には山下との併用でリーグ優勝に貢献したが、読売ジャイアンツとの日本シリーズは手首を骨折し出場することができなかった。 から数年間は強打と野茂英雄との相性の良さを買われて光山が正捕手的な立場にいたが絶対的な存在ではなく、山下の出場減もあって(その後山下はオフに日本ハムファイターズへ移籍)光山と古久保の2人併用制が確立した。には野茂の退団で光山の出場機会が減ったこともあり自己最多の113試合に出場している(なお光山は100試合以上出場したシーズンはない)。 この状況に大きな変化があったのはで、開幕直前に光山がトレードで中日ドラゴンズへ移籍。さらに強肩の的山哲也、打撃に定評があった礒部公一の台頭により、打撃と肩に難があった古久保の出場機会も減少の一途を辿っていく。には5試合しか出場しておらず、この時期の選手名鑑には『今年が現役最後のシーズンか』と書かれる有り様だった〔'99プロ野球12球団全選手百科名鑑 日本スポーツ出版社刊〕。 しかしは、開幕前に前年の正捕手だった礒部が捕手失格の烙印を押され、開幕してからは投手陣が壊滅状態に陥ったことで、監督の梨田昌孝は古久保を再び起用するようになる。当初は不安定な投球が続いていた抑えの大塚晶文に対する専用捕手〔さらば P98〕の形であったが、シーズン後半にはスタメンの機会も増えた。特に岩隈久志との「親子バッテリー」〔さらば P98〕では大きな注目を集た。優勝へのマジックを1とした9月26日の対オリックス戦(大阪ドーム)では、9回無死満塁から古久保の代打となった北川博敏が日本プロ野球史上唯一の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定お釣りなしホームランを放って優勝を決めている〔さらば P32〕。ヤクルトスワローズとの日本シリーズでは第4戦以外で捕手として先発出場〔さらば P144〕。12年越しで日本シリーズに出場したことになった。 もシーズン中盤までは的山との併用ながらスタメンで活躍していたが、体力の限界からこの年限りで現役引退。同世代の山下や光山の陰に隠れていた時期も長かったが、3人の中で近鉄で現役生活を終えたのは古久保だけである。 引退後はからまで近鉄の二軍バッテリーコーチ、からまで中日ドラゴンズの二軍捕手コーチ、からまで東京ヤクルトスワローズ二軍バッテリーコーチ、からまでオリックス・バファローズ一軍バッテリーコーチを務めた。からは韓国プロ野球・ハンファ・イーグルスの一軍バッテリーコーチを務めたが、同年10月8日に来季の契約を結ばないことが明らかになった〔西本、立石コーチらハンファを退団 デイリースポーツ2015年10月8日配信〕。10月13日に2016年から東北楽天ゴールデンイーグルス一軍バッテリーコーチに就任することが発表された〔新任コーチに関して 楽天公式サイト2015年10月13日配信〕。 趣味はテニスであるが、。また週刊ベースボールの選手名鑑号では毎年趣味欄に「親友・池谷幸雄のテレビ鑑賞」と表記されていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「古久保健二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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