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古今亭 志ん橋(ここんてい しんきょう)は、落語の名跡。当代は一般的には6代目。しかし歴代に10名ほど志ん橋を名乗っている落語家がいたとされるが(船遊亭、古今亭など)、あまり資料が残っていないため6代目としている。(先代は5代目として名乗った。)元は船遊亭扇橋系の一派の扇派の名で古くは船遊亭新橋といったが、後に古今亭志ん生一門の名で受け継がれた。 *船遊亭新橋 - (生没年不詳)後の2代目船遊亭扇橋。 *船遊亭新橋 - 2代目船遊亭扇橋の門で扇子から新橋。俗称を市五郎。 *新橋 - 後の初代麗々亭柳橋。 *船遊亭志ん橋 - (生没年不詳)後の5代目船遊亭扇橋。 *船遊亭志ん橋 - (生没年不詳)4代目船遊亭扇橋の門で扇寿から仲蔵となって志ん橋となった。「神田の伯母さん」渾名(あだな)があった事から女性であろう。 *船遊亭志ん橋 - (生没年不詳)3代目麗々亭柳橋の門で柳作(一説に柳佐)から2代目古今亭志ん生の門で志ん玉から志ん橋となった。 *船遊亭志ん橋 - (1866年7月12日 - 1919年4月26日)本名は笹川大助。1894年に4代目柳亭左楽門下で真古亭真生といった後に上方で7代目桂文治の身内で再び真古亭真生。1904年の初めに初代桂小文治となるが中頃にはまた真古亭真生に復名しと帰京し1906年3月真打で志ん橋となった。1914年8月船遊亭哥楽(可楽は誤植) と改名するも字数悪いと姓名判断で言われたため再度1917年頃志ん橋となった。大山巌に似ていたことから俗に「大山大将」という。芸は多芸で音曲、踊り、自作の阿呆陀羅経などがあった。晩年は噺に精進し同じネタを2度とやらないように勤めたという。妻は宝集家金之助。 *古今亭志ん橋 - (嘉永5年1月(1852年1月ないし2月) - 大正12年(1923年)9月1日)本名は伊藤圧次郎。伊東荘次郎の名で新派の俳優になった。関東大震災で死去したとされる。 *雷門志ん橋 - (1889年12月6日 - 1930年2月)本名は山崎角太郎。1907年3月に6代目雷門助六門下で6代目にあたる喜久亭寿楽から雷門寿楽となり、1920年12月に睦会の七人同時真打の中の1人となり雷門志ん橋と改名した。酒に溺れ、旅先の四国丸亀で死去。俗に「坊主の志ん橋」という。 *古今亭志ん橋 - (生没年不詳)4代目古今亭志ん生の門で古今亭馬丈から古今亭志ん橋となった。昭和の初め頃まで雷門・古今亭の二人志ん橋の時期があった。 *船勇亭志ん橋 - 後の3代目三遊亭小圓朝。 *古今亭志ん橋 - 後の10代目金原亭馬生。 ---- 6代目古今亭 志ん橋(ここんてい しんきょう、男性、1944年8月17日 - )は、東京都墨田区江東橋出身の落語家。本名は小椋 幸彦(おぐら くにひこ)。落語協会所属。出囃子は「大拍手」。東京都立第四商業高等学校卒業。 スキンヘッドがトレードマークである。 ==経歴== *1969年1月 ガソリンスタンドを辞め3代目古今亭志ん朝に入門、前座名「志ん太」。 *1975年5月 二つ目昇進。 *1982年12月 真打昇進で6代目志ん橋襲名。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「古今亭志ん橋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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