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古代エジプト文学 : ミニ英和和英辞書
古代エジプト文学[こだいえじぷとぶんがく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふる]
 【名詞】 1. used 2. secondhand
古代 : [こだい]
  1. (adj-na,n-adv,n-t) ancient times 
古代エジプト : [こだいえじぷと]
 (n) ancient Egypt
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [ぶん]
 【名詞】 1. sentence 
文学 : [ぶんがく]
 【名詞】 1. literature 
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 

古代エジプト文学 : ウィキペディア日本語版
古代エジプト文学[こだいえじぷとぶんがく]

古代エジプト文学(こだいエジプトぶんがく)は、古代エジプトのからローマの属州であった時代の終わりまでにかけてエジプト語で書かれた、エジプト文学の源流をなす文学である。と共に、と考えられている〔.〕。ただし、「古代エジプトの文学」という場合、通常の「文学」より広い意味を有し、文字で記されたテクスト全般を「文学」として扱うことが多く、ピラミッドの内部や棺の内側に記される宗教文書も含めて研究されてきた経緯がある〔吉村(2005)p.173〕。
エジプト文字ヒエログリフヒエラティックの双方)は紀元前4千年紀後半、の後期に出現した。紀元前26-22世紀のエジプト古王国の時代までには、 、や手紙、宗教的な讃歌や、傑出した高位の行政官の経歴を列挙する自伝的追悼文などの文学的作品が存在していた。エジプトの物語文学が生まれるのは紀元前21-17世紀のエジプト中王国初期になってからである。これはによれば、知的な階級の勃興、個人に関する新しい文化的感受性、先例のない高い識字水準、文字資料へのアクセスなどの結果としてもたらされた「メディア革命」であった〔.〕。しかしながら、識字率は全人口の1%にも満たなかった可能性がある。従って、文学の創造は選良によるものであり、官庁ファラオの王宮に付随した書記官階級に独占されていた。ただし、古代エジプト文学がどの程度王宮の社会政治体制に依存していたかについては現代の学者の間でも完全な意見の一致は得られていない。
エジプト中王国の音声言語であるが紀元前16-11世紀のエジプト新王国期には古典言語となり、この時期に新エジプト語として知られるが初めて書き物に出現した。新王国の書記官たちは中期エジプト語で書かれた数多くの文学テクストを正典として写本し、中期エジプト語は神聖なヒエログリフのテクストを口誦するための言語であり続けた。「セバイト」(教訓)や伝説的な物語など、中王国時代のジャンルの一部は新王国でも一般的であり続けたが、的なテクストのジャンルは紀元前4-1世紀のプトレマイオス朝時代になるまで復興しなかった。人気のある物語としては『シヌヘの物語』や『』、重要な教育的テクストとしては『』や『』などがある。新王国時代までには、神聖な神殿や墓の壁に記された記念の落書きが独自の文学ジャンルとして繁栄するようになっていたが、これらにも他のジャンルと同様の定型的な表現が用いられていた。正当な著者を認知することは一部のジャンルでしか重要とされておらず、「教訓」ジャンルのテクストでは偽名が用いられ、有名な歴史的人物に偽って帰されていた。
古代エジプト文学は幅広い媒体によって保存されてきた。パピルスの巻物や束、石灰岩陶磁器オストラコン(破片)、木の筆記板、、(石棺に書かれた文章)などである。このような形で保存され、現代の考古学者たちにより発掘されたテクストは、古代エジプト文学の小さな部分を見せてくれるに過ぎない。にあたる地域は湿潤な環境がパピルスとインクによる文書の保存に適さなかったため、あまり伝わっていない。他方で、数千年間に亘り埋もれ、隠れていた文学がエジプト文明辺縁の乾燥した砂漠地帯の集落から発見されている。
== 筆記、媒体、言語 ==

=== ヒエログリフ、ヒエラティック、デモティック ===


紀元前4千年紀後半のエジプト初期王朝時代までには、ヒエログリフ(聖刻文字)とその筆記体であるヒエラティック(神官文字)は充分に確立された文字体系となっていた〔; ; ; .〕。エジプトのヒエログリフは自然物の小さな芸術的絵であった〔; ; .〕。例えば、を表すヒエログリフは''se''と発音され、''s''の音を作り出した。このヒエログリフが他の1つまたは複数のヒエログリフと結合されると、音の組み合わせが作り出され、悲しみ・幸福・美・悪といった抽象的な概念を表すことができた〔; for similar examples, see Allen (2000: 3) and Erman (2005: xxxv-xxxvi).〕。紀元前3100年頃の末期のものとされるでは、鯰と鑿のヒエログリフを組み合わせてナルメル王の名前を表している〔; ; .〕。
エジプト人たちはヒエログリフを「神の言葉」と呼び、その使用をを通じての神や死者の霊との交信といった高貴な目的に限定していた〔; ; ; .〕。ヒエログリフの語それぞれが、特定の物体を表すと同時に、その物体の本質を体現しており、神により創られより大きなコスモスの一部となっているものと認識されていた〔.〕。を薫くといった聖職者による典礼の行為を通じ、神官は魂や神々に、神殿の表面を飾っているヒエログリフを読めるようにしていた〔.〕。第12王朝に始まる葬礼文書においては、墓の主である故人の魂は来世での糧の源として葬礼文書のテクストに依存しており、あるヒエログリフを損ねたり、省略したりすることは良くも悪くも故人に何らかの影響を及ぼすのだとエジプト人たちは信じていた〔; .〕。毒蛇やその他の危険な動物のヒエログリフを切断することは、そのもたらしうる危険を取り除く〔。しかしながら、故人の名前のうちいかなる部分でも取り除くことは、故人の魂が葬礼文書を読む能力を奪い、魂を生気のない物質へと運命づけてしまうと考えられていた〔。

ヒエラティックは、ヒエログリフを単純化した草書体である〔; ; ; .〕。ヒエログリフ同様、ヒエラティックも神聖な宗教的テクストに用いられた。ヒエラティックは、古代エジプト語がヒエログリフを用いて表現されるようになってから数百年後のエジプト古王国時代の初期にはすでに用いられており、パピルス文書や手紙などに用いられていた〔吉村(2005)p.158〕。紀元前1千年紀までには、筆記体のヒエラティックはや神殿の文書の大部分で用いられる書体となっていた〔。
ヒエログリフの筆記には極度の正確さと気配りが要求されたのに対し、草書体のヒエラティックは遥かに高速に書くことが出来たのでによる記録管理により適していたのである〔.〕。医学、、教育案内といった、王家用でなく、記念碑的でなく、それほど公式的でない用途向けの速記法として主に利用された〔; ; ; ; .〕。ヒエラティックは2つの異なった書体で書くことができた——1つは政府の記録や文学的手稿に用いられるよりカリグラフィ的な書体であり、もう1つは非公式な計算や手紙に用いられる書体である〔; .〕。
書記や神官がパピルスに文字を書くとき、ヒエログラフではひとつひとつの文字に時間がかかってしまうことから、文字の簡略化が進行してヒエラティックが生まれたと推定されるが、やがて互いの書体を比較したり、次世代の書記・神官に学ばせたりしながら、ある程度共通した文字のくずし方が共有されたものとみなされる〔。当初ヒエラティックの書体はヒエログリフに近いかたちを保っていたが、しだいに簡略化が進展し、エジプト中王国の時代にあっては原形をとどめるものは少なくなっている。このように、ヒエラティックの書体は長い年月のなかで時とともに変化したため、文献資料の年代決定に重要な役割を果たしている〔。
紀元前1千年紀の中葉までには、ヒエログリフとヒエラティックが依然として王家、記念碑、宗教、葬礼などの筆記に用いられる一方で、ヒエラティックよりもさらに草書的な新しい書体が日常的な非公式の書き物に用いられるようになった——デモティック(民衆文字)である〔.〕。デモティックは、下エジプトにおいて紀元前7世紀以降に成立したものともみられており〔吉村(2005)p.159〕、いくつかのヒエログリフがひとまりまりになった内容を、ごくわずかな画数で表現したものである。
デモティックは、それまでのヒエラティックに代わり日常的な書類や、いわゆる文学作品をパピルスに記す際に用いられた〔。デモティックの登場により、ヒエラティックは宗教文書をパピルスやミイラの包帯に記すなど限定的に使用され続けることとなった。また、ヒエラティックとは異なり、デモクラティックはステラ(石碑)など恒久的にのこって長く後世に伝えることが期待された媒体にも使用された。ロゼッタ・ストーンにも、ヒエログリフおよびギリシャ文字とともにデモクラティックが刻されている〔。
古代エジプト人によって採用された最後の書体はコプト文字で、これはギリシア文字の改訂版であった〔。キリスト教ローマ帝国全体の国教となった紀元4世紀にはコプト文字が標準となった。ヒエログリフは異教の伝統の偶像崇拝的な図像であり、聖書正典の筆記には不適切なものであるとして放棄された〔.〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「古代エジプト文学」の詳細全文を読む




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