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古典的自由主義(こてんてきじゆうしゅぎ、)は、個人の自由と小さな政府を強調する思想であり、伝統的自由主義〔Brad Stetson, ''Human Dignity and Contemporary Liberalism'' (Westport, CT: Praeger/Greenwood, 1998), 26.〕、レッセフェール自由主義〔Ian Adams, ''Political Ideology Today'' (Manchester: Manchester University Press, 2001), 20.〕、市場自由主義〔http://www.cato.org/about.php〕、また英語ではリバタリアニズム、英米以外では単に自由主義(リベラリズム)と呼ばれることもある。 人間の合理性、個人の財産権、自然権、自由権の保障、個人の拘束からの自由、政府に対する憲法的制約、自由市場、そして政府に財政面の制約を課すための金本位制を重視する〔McNeil, William C. Money and Economic Change. Columbia History of the Twentieth Century. Columbia University Press. 2000. p. 284〕。これらの価値は、ジョン・ロック、アダム・スミス、デイヴィッド・ヒューム、デヴィッド・リカード、ヴォルテール、モンテスキューらの書物で挙げられているものである。このことから分かるように、古典的自由主義は、18世紀末から19世紀にかけての経済学的自由主義と政治的自由主義が融合したものである〔。古典的自由主義の規範の中心となるのは、レッセ・フェール(自由放任)の経済によって、内在的秩序、すなわち見えざる手が働き、社会全体の利益となるという考えである〔Razeen Sally, ''Classical Liberalism and International Economic Order: Studies in Theory and Intellectual History'' (London: Routledge, 1998), 17 (ISBN 0-415-16493-1).〕。ただし、国家が一定の基本的な公共財(公共財となる物は、非常に限定的に考えられているが)を提供することには必ずしも反対しない〔Eric Aaron, ''What's Right?'' (Dural, Australia: Rosenberg Publishing, 2003), 75.〕。 「古典的」という形容は、より新しい、20世紀の自由主義(リベラリズム)や、それに関連した社会自由主義のような動きと区別するために、後から付けられたものである〔James L. Richardson, ''Contending Liberalisms in World Politics: Ideology and Power'' (Boulder, CO: Lynne Rienner Publishers, 2001), 52.〕。この新しい自由主義(以下、この意味では「リベラリズム」という訳語を用いる)は、経済的問題について国家が介入者としてのより強い役割を担うことを促すものである。一方、古典的自由主義者らは、最小の政府の枠を超えることに懐疑的であり〔Anthony Quinton, "Conservativism", in ''A Companion to Contemporary Political Philosophy'', ed. Robert E. Goodin and Philip Pettit (Oxford: Blackwell Publishing, 1995), 246.〕、福祉国家論に反対の立場をとる〔Alan Ryan, "Liberalism", in ''A Companion to Contemporary Political Philosophy'', ed. Robert E. Goodin and Philip Pettit (Oxford: Blackwell Publishing, 1995), 293.〕。 古典的自由主義は、19世紀末から20世紀にかけていったん廃れたが、20世紀に古典的自由主義の復活に寄与したと目されるのが、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス、フリードリヒ・ハイエク、ミルトン・フリードマンの3人である〔''Encyclopædia Britannica Online'', s.v. "Liberalism" (by Harry K. Girvetz and Minogue Kenneth), p. 16 (accessed May 16, 2006).〕〔David Conway, ''Classical Liberalism: The Unvanquished Ideal'' (New York: St. Martin's), 8.〕。経済学的局面において、この復活は、主にその反対者から、新自由主義(ネオリベラリズム)と呼ばれることがある。なお、ドイツの「オードリベラリズム (ordoliberalism)」は、これとは全く意味が異なる。アレクサンダー・リュストウ(Alexander Rüstow)やウィルヘルム・レプケ(Wilhelm Röpke)は、レッセ・フェール自由主義者と異なり、より国家による介入を指向しているからである〔Alexander Rüstow, ''Das Versagen des Wirtschaftsliberalismus'' (1950).〕〔Wilhelm Röpke, ''Civitas Humana'' (Erlenbach-Zürich: E. Rentsch, 1944).〕。古典的自由主義は、現代のリバタリアニズムと共通する面が多く、この二つの用語は、小さな政府を主張する人によってほぼ互換的に用いられている〔Raimondo Cubeddu, preface to "Perspectives of Libertarianism" , ''Etica e Politica'' (Università di Trieste) V, no. 2 (2003).〕〔Steffen W. Schmidt, ''American Government and Politics Today'' (Belmont, CA: Thomson Wadsworth, 2004), 17.〕。 == 概要 == ヨーロッパでは自由主義は多くの対抗勢力からの反対を受けたのに対し、アメリカでは、自由主義の理想に対する反対はほとんどなかったため、自由主義は強く根付いた。産業革命期から大恐慌を経て、アメリカの自由主義は最初の思想的挑戦を受けることとなった〔Eric Voegelin, Mary Algozin, and Keith Algozin, "Liberalism and Its History" , ''Review of Politics'' 36, no. 4 (1974): 504-20.〕。大恐慌の時までに、アメリカの自由主義は、それまで反対していた大きな国家に対する考え方を変えた。この転換について、アーサー・シュレジンジャーはこう書いている。 なお、これに対し、ヨーロッパでは、イギリスの島々を除けば、自由主義は、社会主義のようなライバルたちと比べて、かなり弱い立場にあり、支持を失っていたので、その意義についての変化も起こらなかった〔。 ところが、1970年代までに、経済の伸び悩みと税金・負債の上昇が、新たな古典的自由主義の復活を促した。フリードリヒ・ハイエクとミルトン・フリードマンは、財政政策における政府の介入に対する反対論を述べ、その考え方は1980年代から、アメリカ及びイギリスの保守政党によって採用された〔''Encyclopædia Britannica Online'', s.v. "Liberalism" (by Harry K. Girvetz and Minogue Kenneth), p. 16 (accessed May 16, 2006).〕。実際、ロナルド・レーガン米大統領は、フレデリック・バスティア、ミーゼス、ハイエクの影響を認めている〔Ronald Reagan, "Insider Ronald Reagan: A Reason Interview" , ''Reason'', July 1975.〕。 ナンシー・L・ローゼンブラムは次のように書いている。 古典的自由主義は、特に個人の自律権 (sovereignty of the individual) を強調し、財産権が個人の自由にとって不可欠であると考える。これが、レッセ・フェールの原則の哲学的基礎になっている。もともと古典的自由主義者のイデオロギーは、直接民主制に反対するものであった。なぜなら、多数派による支配というむき出しの概念には、多数派がいつも財産権を尊重したり法の支配を維持したりすることを保証するものは何もないからである〔。例えば、ジェームズ・マディソンは、直接民主制に反対し、個人の自由を保障した立憲共和政体を支持して、その理由を次のように述べた。直接民主制においては、「ほとんどの場合に、一つの感情や利益が多数派によって共有されるであろうが、弱者を犠牲にしようとする誘引をチェックするものはない。」〔James Madison, Federalist No. 10 (1787年11月22日), in Alexander Hamilton, John Jay, and James Madison, ''The Federalist: A Commentary on the Constitution of the United States'', ed. Henry Cabot Lodge (New York, 1888), 56 .〕 アンソニー・クィントンによれば、古典的自由主義者は、「束縛されない市場」が、人間の需要を満たし、資源を最も生産的な使用に向けるための最も効率的な仕組みであると信じている。古典的自由主義者は、保守主義者よりも、最小限度を超える政府の存在に対し懐疑的である〔Anthony Quinton, "Conservativism", in ''A Companion to Contemporary Political Philosophy'', ed. Robert E. Goodin and Philip Pettit (Oxford: Blackwell Publishing, 1995), 246.〕。ただし、無政府資本主義者のウォルター・ブロックは、アダム・スミスは自由経済の唱道者であったと同時に、政府の多くの分野での介入も許容していたと指摘する〔Jeet Heer, "Adam Smith and the Left" , ナショナル・ポスト紙、2001-12-03。〕。古典的自由主義による「規制されない自由市場」の提唱は、「個人が合理的で、利己的で、かつ目標に向かって順序だった行動をするという想定」に基づいている〔''Online Dictionary of the Social Sciences'', s.v. "Classical Liberalism" (by Robert Drilane and Gary Parkinson).〕。 古典的自由主義は、個人の権利は自然的、内在的ないし不可侵のものであり、政府の存在とは関係なく存在するものであると主張する。トマス・ジェファーソンは、これを「不可侵の権利 (inalienable rights)」と呼んだ。彼は、「……正当な自由とは、他者の同等の権利によって我々の周りに引かれた制約の範囲内で、我々の意思に基づいた行為が妨げられないことをいう。これに『法の制約の範囲内で』と付け加えることはしない。なぜなら、法とはしばしば独裁者の意思にすぎず、またそれが個人の権利を侵害する場合は常にそうであるからである。」〔Thomas Jefferson, letter to Isaac H. Tiffany, 1819.〕と述べている。古典的自由主義にとって、権利とは消極的性質を持つもの、すなわち他者(そして政府)が個人の自由に介入しないよう要求する権利である。これに対し、社会自由主義(現代自由主義、または福祉自由主義ともいう)は、個人が他者から一定の利益やサービスを受けられる積極的権利を有すると主張する〔David Kelley, ''A Life of One's Own: Individual Rights and the Welfare State'' (Washington, DC: Cato Institute, 1998).〕。社会自由主義者と異なり、古典的自由主義者は、福祉国家論に対して敵対的である〔。そして、実体的平等(結果の平等)には関心がなく、「法の前の平等」にのみ関心を持つ〔Chandran Kukathas, "Ethical Pluralism from a Classical Liberal Perspective," in ''The Many and the One: Religious and Secular Perspectives on Ethical Pluralism in the Modern World'', ed. Richard Madsen and Tracy B. Strong, Ethikon Series in Comparative Ethics (Princeton, NJ: Princeton University Press, 2003), 61 (ISBN 0691099936).〕。また、古典的自由主義は、社会自由主義に対し批判的であり、個人の権利を犠牲にして集団の権利を追求することに反対する〔Mark Evans, ed., ''Edinburgh Companion to Contemporary Liberalism: Evidence and Experience'' (London: Routledge, 2001), 55 (ISBN 1-57958-339-3).〕。 ハイエクは、古典的自由主義の中には、「イギリス系」と「フランス系」という二つの異なる系譜があるとする。ハイエクによれば、デイヴィッド・ヒューム、アダム・スミス、アダム・ファーガソン、ジョサイア・タッカー(Josiah Tucker)、エドマンド・バーク、ウィリアム・ペーリーといったイギリスの思想家によって代表される系譜は、経験論、コモン・ロー、そして自然発生的に生成した(理論的には完全に解明されていない)慣習や制度に対する信頼を表現したものであった。一方、フランス系には、ルソー、コンドルセ、百科全書派、重農主義者が含まれる。この系譜は、合理主義と、理性の無限の力を信じ、時には伝統や宗教に対する敵意を見せる。ただし、国によるラベル付けが、それぞれの系譜に属する人に正確に対応するものではないことは、ハイエクも認めるところである。例えば、ハイエクは、フランス人のモンテスキュー、バンジャマン・コンスタン、アレクシス・ド・トクヴィルは「イギリス系」に属するとし、イギリス人のトマス・ホッブズ、ウィリアム・ゴドウィン、ジョゼフ・プリーストリー、リチャード・プライス、トマス・ペインは「フランス系」に属するとしている〔F. A. Hayek, ''The Constitution of Liberty'' (London: Routledge, 1976), 55-56.〕。また、ハイエクは、「レッセ・フェール」というラベルはフランス系から来たものであって、ヒュームやアダム・スミスやバークの思想とは無縁のものであるとして、これを退けている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「古典的自由主義」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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