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古川 隆久(ふるかわ たかひさ、1962年6月 - )は、日本の歴史学者。日本大学文理学部教授。専門は日本近代史。 ==経歴== 1962年(昭和37年)生まれで東京都出身。1986年(昭和61年)に東京大学文学部国史学科を卒業する。1992年(平成4年)に東京大学院人文科学研究科博士課程を修了。博士(文学)。横浜市立大学国際文化学部(のち国際総合科学部)講師、助教授を経て、2006年(平成18年)より日本大学文理学部の教授となる。 大学・大学院では伊藤隆に師事。師の「日本ファシズム」概念否定論を受け継ぎ、「日本ファシズム」論は学説として「論理的に破綻」し、「有効性がないことは明白」であり、それ自体を深めることは「無意味」であると喝破した〔鳥海靖・松尾正人・小風秀雅編『日本近現代史辞典』(東京堂出版, 1999年)270頁〕。昭和戦前・戦中期における日本の政治体制は、ホアン・リンスのいう「権威主義体制」であったと指摘している〔『昭和戦中期の議会と行政』(吉川弘文館, 2005年)を参照。〕。 『戦時下の日本映画』で、尾崎秀樹記念大衆文学研究賞を受賞する。 2007年(平成19年)には『大正天皇』において、従来病弱で公務を行なう能力が乏しかったと評価されてきた大正天皇に関する戦後初の評伝で、なおかつ大正天皇を健康な名君として再評価した原武史の研究(『大正天皇』朝日新聞社、2000年)に対して、平成14年に一部公開された『大正天皇実録』をはじめとする諸史料から大正天皇の生涯を検討し、なおかつ原武史の大正天皇像に関しては再反論を加え、大正天皇評価論争の一方の当事者となった。 2011年(平成23年)には『昭和天皇』において、天皇の戦争責任について検討を加えている。その結論は、「昭和天皇の戦争責任とは、消極的な心境からではあっても太平洋戦争の開戦を決断して、結果的に内外に莫大な犠牲を出してしまったこと、そして、太平洋戦争開戦にいたる過程で、事態の悪化を食い止められなかったことである。」〔古川隆久『昭和天皇』中央公論新社、2011年、P392〕というものである。2011年(平成23年)に『昭和天皇』でサントリー学芸賞を受賞する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「古川隆久」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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