翻訳と辞書
Words near each other
・ 古河市立三和東中学校
・ 古河市立古河市サッカー場
・ 古河市立名崎小学校
・ 古河市立大和田小学校
・ 古河市立小堤小学校
・ 古河市立総和中学校
・ 古河府
・ 古河庭園
・ 古河建純
・ 古河彩子
古河御所
・ 古河徹人
・ 古河志
・ 古河文学館
・ 古河新水
・ 古河早苗
・ 古河有一
・ 古河村
・ 古河林業
・ 古河橋


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

古河御所 : ミニ英和和英辞書
古河御所[ふるかわ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふる]
 【名詞】 1. used 2. secondhand
古河 : [ふるかわ]
 (n) old river
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [ご, お, おん, み]
  1. (pref) honourable 2. honorable 
御所 : [ごしょ]
 【名詞】 1. old imperial palace 
: [ところ, どころ]
 (suf) place

古河御所 ( リダイレクト:古河城 ) : ウィキペディア日本語版
古河城[こがじょう]

古河城(こがじょう)は、現在の茨城県古河市下総国)の渡良瀬川東岸にあった日本の城
室町時代には、古河御陣とも呼ばれ、北朝足利氏の拠点の一つであった。古河公方の本拠となった時期については古河御所(こがごしょ)とも呼ばれる。なお、古河鴻巣の古河公方館も御所と呼ばれるため、混同しないように注意する必要がある。
== 概要 ==
古河城の起源は、平安時代末期あるいは鎌倉時代初期に、下河辺行平が古河の立崎(竜崎)に築いた城館とされている。室町時代には、古河公方足利成氏が本拠とし、以後、戦国時代の関東における中心の一つとなった。江戸時代には、多くの譜代大名が入れ替わりで城主を務め、近代城郭として整備された。古河藩庁が置かれ、行政機能を担うとともに、将軍日光社参時の宿として、あるいは江戸城の北方の守りとしても機能した。明治時代初期の廃城令により廃城となり、明治末に開始された渡良瀬川の改修工事により、残された城跡も大半が消滅した。渡良瀬川の堤防上、三国橋新三国橋の中間付近には「古河城本丸跡」と書かれた標柱と古河史楽会作成の説明板が設置されている。(2015年4月現在)。
古河城は渡良瀬川の河畔にあり、城の位置付けは人と川との関わりに影響されてきた。
渡良瀬川は、上流では主に栃木県群馬県の県境近辺を流れ、下流では太日川(今の江戸川)と名前を変え、千葉県埼玉県の県境近辺を利根川と並行して、東京湾に流れ出ていた。従って、関東を東西に分かつ境界線であると同時に、河川交通により北関東および東京(江戸)・房総を結ぶ物流と交通の幹線であった。このような地理的条件により、中世および近世には重要拠点とされたが、近代に治水が重視されるようになると、大規模な河川改修事業により、下流の関宿城と同様に城跡が徹底的に破壊された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「古河城」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.