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古賀玄暉[こが げんき]
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・ 古 : [ふる] 【名詞】 1. used 2. secondhand
古賀玄暉[こが げんき]
古賀 玄暉(こが げんき、1998年12月19日 - )は、神奈川県出身の、日本の柔道家である。階級は60kg級。身長168cm。血液型はA型。段位は初段。組み手は右組み。得意技は足技〔「柔道全日本強化選手名鑑 2016」近代柔道 ベースボールマガジン社、2016年4月号〕。父親はバルセロナオリンピック71kg級金メダリストの古賀稔彦。兄は全国高校選手権73kg級で2位の古賀颯人。妹は全国中学校柔道大会52kg級で2位の古賀ひより。現在は大成高校に在学〔 日刊スポーツ 2015年3月21日〕。 ==経歴== 柔道は3歳の時に始めると、その後父親が開設した古賀塾の所属となった〔。中学は愛知県にある大成中学に進むと、2年の時には全国中学校柔道大会の50kg級で2位になった。なおこの時は、同じ中学に通う1歳年上の兄である颯人が73kg級で優勝している〔。近代柔道杯ではチームの優勝に貢献した〔。3年の時には全国中学校柔道大会の55kg級で優勝を飾った〔。大成高校に進むと、1年の全国高校選手権では60kg級で優勝を成し遂げた。兄の颯人は73kg級で2位にとどまり、兄弟優勝はならなかった〔〔 日本経済新聞 2015年4月3日〕。2年の時には4月の全日本カデでも優勝して、17歳以下の世界一を決める大会である世界カデ代表に選ばれた。6月に名古屋で開催された東アジア選手権 では決勝で高校の2年先輩となる東海大学1年の永山竜樹に有効で敗れるも2位となった〔 時事通信 2015年6月21日〕。8月の世界カデでは決勝でブラジルの選手を指導2で破って優勝を成し遂げた。この際に、2020年の東京オリンピックで優勝することが最大の目標とコメントした〔 2015年8月7日〕〔World Championships 2015 - Sarajevo 〕。また、団体戦でも決勝のロシア戦で一本勝ちするなどしてチームの優勝に貢献した〔World Championships 2015 - Sarajevo DAY 5 - Team Competition 〕。9月の 全日本ジュニアでは3位になった〔 サンケイスポーツ 2015年9月12日〕。10月のアジアジュニアでは優勝した〔 スポーツニッポン 2015年10月11日〕。シニアデビュー戦となった11月の講道館杯では準々決勝で国士舘大学3年の大島優磨に合技で敗れて7位に終わった〔 全日本柔道連盟 2015年11月8日〕。2016年3月の全国高校選手権では決勝で習志野高校1年の市川龍之介に有効で敗れて2位にとどまり2連覇はならなかった〔 サンケイスポーツ 2016年3月19日〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「古賀玄暉」の詳細全文を読む
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