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古邊 考功(ふるべ よしのり、1970年12月9日 - )は、広島県福山市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 現役時代のポジションは、ディフェンダー(DF)。一時期、登録選手名を"考功"から"芳昇"に改名(読みは同じ)していた事がある。 == 来歴 == 大学卒業後、香川紫雲クラブ (現:カマタマーレ讃岐)を経て、1994年に中央防犯FC藤枝ブルックスに加入。以後ジャパンフットボールリーグからJリーグ昇格、アビスパ福岡へとプロ化した直後のチームをキャプテンとして支え、1998年末にはJ1参入決定戦で川崎フロンターレやコンサドーレ札幌を破りJ2降格回避に貢献した。 1999年にJ2・FC東京に移籍。プロ化及びJリーグ加盟初年度のチームにおいて、Jリーグ経験者として守備陣をバックアップし、激しくパワフルなプレーでチームの精神的支柱として活躍した。2001年、佐川急便東京SCに移籍し〔 FC東京 (2001年4月6日)〕、同年限りで現役を引退。 2002年より指導者の道を歩み〔トップチームコーチに古邊考功氏招聘のお知らせ アルビレックス新潟 (2002年4月1日)〕、2006年より柏レイソルに加入〔古邊 考功 氏 来季より柏レイソル コーチに就任のお知らせ アルビレックス新潟 (2006年1月15日)〕〔2006年 スタッフ体制について 柏レイソル (2006年1月15日)〕。同郷(広島出身)の石崎信弘監督の下でフィジカルコーチを担った。 2011年には石崎が監督を務めるコンサドーレ札幌のフィジカルコーチに就任〔古邊 考功フィジカルコーチ コンサドーレ札幌に加入 柏レイソル (2010年12月28日)〕〔コンサドーレ札幌のフィジカルコーチに 古邊 考功 氏が就任 コンサドーレ札幌 (2010年12月28日)〕。札幌は翌2012年からのJ1昇格を果たすも1年でのJ2降格を喫したため、古邊は石崎と共に退任することを覚悟していたが、クラブから慰留されたため、引き続き選手の強化に取り組んだ〔 北海道新聞 (2013年1月29日)〕。契約更新の打診を固辞し〔清水フィジカルコーチに古辺氏就任へ 日刊スポーツ (2014年12月17日)〕2014年限りで退任。 2015年、清水エスパルスフィジカルコーチに就任〔古邊考功氏 契約満了 及び 清水エスパルスフィジカルコーチ就任のお知らせ コンサドーレ札幌 (2014年12月24日)〕〔古邊考功 トップチームフィジカルコーチ就任のお知らせ 清水エスパルス (2014年12月24日)〕。試合後半に運動量が低下するというチーム状況を踏まえ〔清水始動 大榎監督宣言「陸上部になる」 日刊スポーツ (2015年1月19日)〕、90分間走りきれる持久力の強化に乗り出したが、例年のトレーニング不足が相まって負傷離脱者が続出〔 スポーツニッポン (2015年10月23日)〕。J2降格の一因となった。同年末に契約を満了し退任〔古邊考功コーチ 退任のお知らせ 清水エスパルス (2015年11月24日)〕。 2016年より京都サンガF.C.のフィジカルコーチに就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「古邊考功」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yoshinori Furube 」があります。 スポンサード リンク
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