|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 古 : [ふる] 【名詞】 1. used 2. secondhand ・ 野 : [の] 【名詞】 1. field ・ 実 : [み, じつ] 【名詞】 1. fruit 2. nut 3. seed 4. content 5. good result
古野 繁実(ふるの しげみ、1918年(大正7年)5月10日〔『殉忠第一次第二次特別攻撃隊』80頁。〕 - 1941年(昭和16年)12月8日)は、日本の海軍軍人。特殊潜航艇「甲標的」艇長として真珠湾攻撃に参加し、戦死した九軍神の一人。二階級特進により最終階級は海軍少佐。 == 生涯 == === 略歴 === 福岡県遠賀郡遠賀村(現・遠賀町)出身。古野家は祖父が村長、父は国民学校校長、長兄は市教育長、次兄の矢野峻は九州大学教育学部教授、三兄は小学校校長という教育者一家である。弟は海軍兵学校在校中に終戦となり時事通信の幹部となった〔『九軍神は語らず』「軍神・古野繁実」〕。 東筑中学五年在学中に陸軍士官学校と海軍兵学校に合格し、海兵進学を選択した〔『海溝の神人』34 頁〕。中学の卒業席次は2番である。古野は海兵67期でともに「甲標的」艇長として戦死した横山正治は同期生であった。1939年(昭和14年)7月卒業。練習艦隊配乗を経て、霞ヶ浦航空隊で飛行訓練を受け、次いで第一艦隊所属の戦艦「伊勢」、潜水艦「伊158」〔*>『海溝の神人』では艦名変更前の「伊58」と記載。〕乗組を経て、特殊潜航艇艇長要員に選抜された〔『海溝の神人』145-162頁〕。訓練中に特殊潜航艇の真珠湾攻撃参加が決定し、古野は五人の艇長の一人に選ばれる。他の艇長は、岩佐直治、広尾彰、酒巻和男、横山である。広尾は艇附横山薫範(戦死後、特務少尉)とともに、「伊18」から出撃し戦死した。古野艇は南雲機動部隊の真珠湾攻撃に先立つ一時間以上前に、米駆逐艦「ウォード」により撃沈されたと推測されている〔『本当の特殊潜航艇の戦い』「第三章 甲標的作戦の実態」〕。古野ら特別攻撃隊には連合艦隊司令長官・山本五十六から感状が授与され、古野らは軍神とされた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「古野繁実」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|