翻訳と辞書
Words near each other
・ 可克達拉市
・ 可児
・ 可児 (小惑星)
・ 可児ショッピングプラザパティオ
・ 可児タクシー
・ 可児ッテ
・ 可児バイパス
・ 可児停車場
・ 可児停車場線
・ 可児公園
可児吉長
・ 可児壮隆
・ 可児川
・ 可児川停車場
・ 可児川停車場日本ライン公園線
・ 可児川駅
・ 可児工
・ 可児工業高校
・ 可児工業高等学校
・ 可児市


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

可児吉長 : ミニ英和和英辞書
可児吉長[かに よしなが]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [か]
  1. (n,n-suf) passable 
: [じ]
  1. (n-suf) child 
: [おさ]
 【名詞】 1. chief 2. head 

可児吉長 : ウィキペディア日本語版
可児吉長[かに よしなが]

可児 吉長(かに よしなが)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。通称の才蔵(さいぞう)でよく知られており、以下本稿でも才蔵名で記す。
== 生涯 ==

=== 前半生 ===
天文23年(1554年)、美濃可児郡に生まれ幼少期を願興寺で過ごす。寺伝では元朝倉氏の側室の子として生まれたという伝えがある。宝蔵院流槍術の開祖、覚禅房胤栄槍術を学んだとされる。
信長の家臣であった柴田勝家明智光秀前田利家らに仕えた(森長可に仕えた時期もあったとする説もある)。そして信長の三男である信孝に仕えるも、天正11年(1583年)に信孝が羽柴秀吉の攻撃を受けて自害したため秀吉の甥・秀次に仕えた。
しかし小牧・長久手の戦いで秀次が徳川家康に大敗を喫すると、秀次と対立して浪人になった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「可児吉長」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.