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台児荘の戦い(たいじそう/だいじそうのたたかい)とは、日中戦争中の1938年3月から4月7日までの間、山東省最南部の台児荘(台児庄とも)付近で行われた戦闘である。台児荘の攻略を企図した日本軍部隊が、中国軍の大部隊に包囲されて撤退、徐州作戦の引き金となった。中国側が「抗戦以来の大勝利」を宣伝したことでも知られる。 == 背景 == 南京攻略後、参謀本部では1938年夏まで新作戦は行わないという方針を固め、1938年2月16日の御前会議で天皇の承認を得ていた。一方、山東省の済南・青島を占領していた北支那方面軍は、たびたび隴海線(徐州)方面へ向かう南下作戦を要請していたが、大本営はこれを認めなかった。参謀本部作戦課長河辺虎四郎大佐が現地へ赴いて作戦休止の方針を説得したが、司令官たちからはこの方針への不満を浴び、河辺課長は帰国直後(3月1日)に更迭された〔『太平洋戦争への道 第4巻 日中戦争 下』、43-45頁。〕。 こうした中で2月17日、北支那方面軍隷下の第2軍は「軍司令官の意志」と称し、大本営の方針に反して第10師団に済寧への攻撃を指示し、第5師団の一部を沂州へ向かわせ第10師団に協力させた(沂州は大本営の指定した進出限界線より約60キロ突出していた)。第5師団は片野支隊(歩兵1個大隊基幹)を編成して沂州を攻略、2月23日、坂本支隊は片野支隊を吸収して南下し、3月5日湯頭鎮を攻略した。 その後、第2軍は「南進作戦ではないから、”眼前の敵”を撃破したい」と大本営に要請した。3月上旬、不拡大派の河辺に代わって作戦課長に就いた稲田正純大佐はこの要求を追認した。3月13日、第2軍は第10師団に対し山東省最南部の大運河の線(韓荘(徐州の北40キロ)~台児荘)までの中国軍撃滅を命令した〔益井、167-168頁。〕〔越智、84-86頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「台児荘の戦い」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Battle of Taierzhuang 」があります。 スポンサード リンク
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