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台北松山空港 : ミニ英和和英辞書
台北松山空港[たいぺいそんしゃんくうこう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [だい]
  1. (n,n-suf) (1) stand 2. rack 3. table 4. (2) support 5. (3) belt 6. (4) counter for machines, incl. vehicles 
台北 : [たいほく]
 (n) Taipei
: [きた, ほく]
 (n) north
: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [そら]
 【名詞】 1. sky 2. the heavens 
空港 : [くうこう]
 【名詞】 1. airport 
: [みなと]
 【名詞】 1. harbour 2. harbor 3. port 

台北松山空港 : ウィキペディア日本語版
台北松山空港[たいぺいそんしゃんくうこう]

台北松山空港(タイペイソンシャンくうこう、たいほくまつやまくうこう、 通称は松山機場英語:Taipei Songshan Airport )は、台湾台北市松山区にある空港。日本語では慣用的に「まつやまくうこう」とも呼ばれる。最近では、台北国際空港(、英語:)とも呼ばれている。
台湾空軍松山空軍基地も併設されており、軍民共用空港となっている。なお、台湾桃園国際空港との間で、直行バスが多く運行されている。
== 歴史 ==

日本統治時代1936年台湾総督府によって民用を目的とした台湾初の大規模公共飛行場として建設され、同年3月に台北飛行場(通称・松山飛行場)の名称で開港した。なお、1936年の開港は日本内地最大かつ、国際線の玄関口的存在であった福岡第一飛行場(雁ノ巣飛行場)と同時期である(同年6月開港)。開港後は日本航空輸送やその後身である大日本航空といった航空会社が使用し、沖縄那覇飛行場を経由する内地との定期便が就航している。
しかしながら、日中戦争支那事変)勃発後は日本海軍航空部隊渡洋爆撃の基地として使用、そのため1938年2月には中国大陸からの反抗作戦として、国民革命軍空軍)とソ連空軍志願隊の攻撃を受けている(これは外地も含む広義の史上初の日本本土空襲であった)。また、太平洋戦争では日本陸軍航空部隊の飛行部隊も台北飛行場に駐屯している。1944年末以降からはアメリカ軍による攻撃の標的となり、台北の街ともども被害を被った。
1945年日本の敗戦による台湾統治終了とともに国民政府中国国民党)の管轄下となり、台湾(中華民国)の国際・国内航空路線の中心的な空港となった。のちには日本航空チャイナエアラインによる羽田空港伊丹空港福岡空港などを結ぶ路線が設定されている。
1979年に国際空港として中正国際空港(現・台湾桃園国際空港)が開港されてからは、国内線専用となった。
2008年三通が認められ、中華人民共和国大陸部との間に定期チャーター便も運航されるようになり、2009年には定期便が就航した。また、日本との間でも、羽田空港の新滑走路完成と再国際線化に合わせて定期便が再開された。
元台北市長馬英九宋楚瑜親民党主席など一部の政治家は、三通政策の一環として中華人民共和国との直行便の乗り入れを提案していたが、本来国内空港である松山空港への中華人民共和国便乗り入れは、中華民国と中華人民共和国を同一国家として見なす結果となりかねないため、両国間で問題となっている台湾独立中華民国の主権問題に深く関わるとして慎重に議論が行われていた。2008年7月4日より両国を結ぶ定期チャーター便を、週末限定で運航を開始した。12月には三通の実現により、中華人民共和国各地へ定期チャーター便が就航した。
* 1936年 - 台湾総督府により建設・開港。内地との間に定期便が運航されていた。
* 1937年 - 鹿屋海軍航空隊が進出し渡洋爆撃の基地とされる。
* 1944年 - 第8飛行師団が台北にて編成。
* 1945年 - 太平洋戦争終戦に伴い、中華民国の管轄に移る。
* 1950年 - 民間空港として開港。
* 1979年 - 中正国際空港(現台湾桃園国際空港)開港により、台湾国内線専用空港となる。
* 2007年 - 台湾高速鉄道の開通により、利用客が激減する。
* 2008年 - 中国大陸部との間に国際定期チャーター便が就航。
* 2009年 - 中国との間に国際定期便が就航。
* 2010年 - 日本との間に国際定期便が就航。
* 2012年 - 韓国との間に国際定期便が就航。
* 2013年 - 日本の松山空港との間にチャーター便が就航。同一地名間の就航は世界初〔http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/10/11/kiji/K20131011006791510.html 松山市と台北市「松山 - 松山」便が就航 発着地同名は世界初 2013年10月11日 スポーツニッポン〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「台北松山空港」の詳細全文を読む




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