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大島城(おおしまじょう)は信濃国伊奈郡(現在の長野県下伊那郡松川町元大島)にあった日本の城である。別名台城 (だいじょう)。 == 概要 == 平安時代末期、片桐氏(大島氏)により築城されたという。戦国期には武田信玄が秋山虎繁(信友)に命じて大改修を施したとされ、永禄初年頃と推定される年未詳8月18日武田晴信書状では、虎繁と推定される「秋山善右衛門尉」と室住虎光の在城が確認される。虎繁は大島城を拠点に郡代(郡司)として伊那郡の支配を行った。 信玄後期~勝頼期の平山城の特徴である、台地の突端部を利用し戦闘正面を限定させる構造となっている。甲州流築城術の特徴である丸馬出し、三日月堀、枡形虎口などの遺構も良好な状態で残る。天竜川を背に城の側面・背面は台地の断崖となっており、前面の空堀がこの断崖へと続いている。また城正面の三日月堀は二重となっており特徴的である。 主な城将は武田信廉(逍遥軒信綱)・日向虎頭(玄徳斎)。武田氏の伊奈谷南部の拠点であり、遠江・三河・美濃侵攻の兵站基地でもある。天正10年(1582年)3月、織田信忠が信濃に侵攻すると、国人衆が動揺・戦意を喪失し、城将の武田信廉は戦うことなく甲斐へと退却し大島城は自落した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大島城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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