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河野 孔明(こうの こうめい、1905年 - 不詳)は、日本の右翼活動家(東方会〔中野正剛の東方会との関係は不明〕・新東方会 総裁)、政治ゴロ、政治運動家(台湾守護会〔『台湾を守る会』とも〕会長、中華民国支援日本委員会常任理事)、総会屋。 == 略歴 == 宮崎県児湯郡出身。公職追放解除直後の1952年から選挙闘争に着手し当初は保守政党からの立候補を模索した。地元の宮崎では高い知名度を誇り、共産党の公認・推薦候補を得票数で度々上回るなど参議院議員通常選挙の全国区でも健闘を続けた。しかし、1970年以降の東京都知事選挙や参議院議員通常選挙の全国区では、並居る諸派候補の中に埋没し上位進出は果たせなかった。長く伸ばした顎鬚がトレードマークで、選挙のスローガンは「日本一 公明選挙の 河野孔明」であった。 概ね一人一党の政治団体『新東方会』或いは無所属での立候補だったが第9回参議院議員補欠選挙(宮崎県選挙区)では、同郷の有田正憲が率いる『国民政治連合』から出馬している。 1975年東京都知事選挙に同時に立候補した秋山祐徳太子によると、政見放送、選挙公報、立会演説会以外の活動は行わず、選挙期間中のみ有効の交通機関無料パスで東京見物をするのを楽しみに、毎回上京していたという。 晩年は『台湾守護会』を名乗り、幟を立てた自転車を駆って蒋介石への報恩を訴えていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「河野孔明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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