|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 台 : [だい] 1. (n,n-suf) (1) stand 2. rack 3. table 4. (2) support 5. (3) belt 6. (4) counter for machines, incl. vehicles ・ 台湾 : [たいわん] 【名詞】 1. Taiwan ・ 湾 : [わん] 1. (n,n-suf) bay 2. gulf 3. inlet ・ 新 : [しん] 1. (n,n-suf,pref) new ・ 新報 : [しんぽう] (n) news(paper) (old term) ・ 報 : [ほう] 1. (n,n-suf) information 2. punishment 3. retribution
台湾新報(たいわんしんぽう)は、日本統治時代の台湾において、1896年(明治29年)に発行され、1898年(明治31年)まで存続した新聞である。 == 『台湾新報』の発行までの経緯 == 1894年(光緒20年・明治27年)から1895年(光緒21年・明治28年)まで続いた日清戦争の結果、日清講和条約いわゆる下関条約の結果、1895年(明治28年)に日本は台湾を領有した〔李(2014年)2ページ〕。台湾島内では抗日武闘闘争が続き、台湾総督は武力で鎮圧したが、台湾経営には武力による鎮圧のみでは不十分で、人心掌握のためにも台湾総督府の意思の伝達手段が必要であった。〔。 しかし、当時の総督府の財政状況からみると、総督府独自の広報を発行し、台湾全島に配布することは非常に厳しかった〔李(2014年)3ページ〕。ちょうどそのとき初代台湾総督樺山資紀と同郷(薩摩)の民間人山下秀実が『台湾新報』へ総督府令を掲載することを出願してきた〔。総督府民政局は、経費削減と情報伝達の必要とを勘案して、山下に新聞発行を委任した〔。その後、『台湾新報』は在台日本人のみならず、台湾人に対する「上意下達の一方法」として、総督府広報の代替手段として位置づけられた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「台湾新報」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|