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台湾民主国(たいわんみんしゅこく)は、1895年の下関条約調印後、列強の干渉を拡大させて日本への台湾割譲を阻止しようとする清国側の外交的動きの中で生まれた一時的政権の名称である。 清国が干渉を期待していたロシア、ドイツ、フランス、イギリスが三国干渉に満足して台湾民主国を承認しなかったため、台湾民主国軍は国際的承認のないまま台湾に上陸した日本の近衛師団に攻撃を開始。しかし台湾民主国首脳陣の逃亡が相次ぎ、北洋大臣李鴻章も戦争の再発を恐れて早々に日本側の要求を受け入れ、6月2日に樺山資紀台湾総督との間に台湾授受手続きを終了させたため、台湾自立による割譲阻止策は失敗し、台湾民主国は約5カ月で崩壊した〔『国史大辞典 8』吉川弘文館〕。ただしその崩壊時期については諸説ある(後述)。11月18日の台湾総督府による全島平定宣言に至るまでの戦闘を台湾平定、台湾鎮定〔日本最初の近代的植民地支配、台湾鎮定 〕あるいは台湾征討と呼ぶ〔清国側は乙未戦争と呼ぶが、日清戦争後の掃討戦に当たるため、独立した別の戦争ではなく、あくまで日清戦争の一部と見なされる。〕。 == 略史 == 日清戦争に敗北した清国は、下関条約により台湾および澎湖諸島を日本に割譲した。これは台湾在住者に全く知らされずに締結され、下関条約によって台湾在住者は日本人となることが決定した。 しかし日本が台湾領有後さらに南清に侵攻することを恐れた清国湖広(ここう)総督張之洞らの策動もあり、その中で清国人であった当時の官僚と一部住民が協力し1895年5月23日に台湾民主国独立宣言を発表、24日には各国語に翻訳し駐台湾の各国領事館に通知している。そして25日独立式典を実施し台湾民主国の成立を宣言した。 独立式典では、唐景崧を総統(日本語では大統領)に選出するとともに、青地に黄虎の黄虎旗を国旗と定め、永清と改元。行政立法の機関を定め、紙幣、郵券を発行し、布告を島民に発し、国家体系を整えた〔『近代の戦争 1 日清戦争』人物往来社〕。当時台湾第一の富豪であった林維源を国会議長に推戴するが、林はこれを拒否、100万両を新政府に献金したのち27日には廈門に逃亡した。 5月29日、日本軍が澳底(現在の台北県貢寮郷)に上陸すると、傭兵を主体としていた民主国軍は総崩れとなり、6月3日には基隆を占拠されてしまう。これにより新政府は空中分解、翌4日には唐景崧は老婆に変装し、公金を持ってドイツ商船のアーター (''Arthur'') 号に乗船して廈門に逃亡してしまう〔これにより台湾民主国は滅亡すると主張する史家も存在している〕。 唐景崧が逃亡したことで、台湾人は6月下旬に台南で大将軍劉永福を第二代台湾民主国総統に選任した。後世の史家はこれを台南共和 (''Tainan Republic'') や第二共和 (''Second Republic'') と称する事もある。 劉永福が総統に就任して3カ月間、民主国と日本軍の間で戦闘が繰り返されたが、日清戦争を勝ち抜いた日本軍と、傭兵主体で数にも劣る台湾民主国軍では実力が違っていた。10月下旬には劉永福が中国に逃亡し、日本軍は台南、安平を陥落させた。ここに台湾は日本によって平定され、この台湾民主国・台湾人と日本軍との戦いは台湾平定と呼ばれる。 ただし台湾民主国の滅亡日は、唐景崧の逃亡日(5月27日)とする説、劉永福の逃亡日とする説〔10月19日に劉永福は台湾を離れた。日本軍の台南入城は10月21日である。このうちどちらかをとるのが、劉永福の逃亡日とする説である。〕、台湾民主国の旗印による最後の戦闘(1896年2月)とする説〔林大北・林季成らが主体となって宜蘭や瑞芳を包囲攻撃した。ただし、林らがそれまでの台湾民主国とどのような関係にあったかは不明瞭である。〕など諸説ある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「台湾民主国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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