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台湾総督府鉄道(たいわんそうとくふてつどう)は日本統治時代の台湾総督府交通局鉄道部が経営した鉄道である。 == 歴史 == 日清戦争の結果、日本が台湾を占領すると、日本軍の軍用列車が運転を開始した。1895年(明治28年)8月台湾総督樺山資紀は台湾を南北に縦貫する322キロメートルの鉄道の建設を政府に働きかけた。まず民間が反応し、渡辺甚吉、横山孫一、大倉喜八郎らが引き受けようとしたが成功しなかった。つづいて、岡部長職、安場保和が1896年(明治29年)5月台湾鉄道会社を発起し、南北縦貫鉄道建設を請願し、政府もこれを許可したが、株式募集は進展しなかった。総督府後藤新平民政長官は、鉄道建設が民間会社では不可能と認識し、1899年(明治32年)3月、「台湾事業公債法」(法律第75号)を発布して、鉄道敷設のための公債を募集するとともに、10か年2,880万円の鉄道国有計画として確定した。ただちに既設線(基隆-新竹)の改良と建設工事(新竹-高雄)が始まり、1908年(明治41年)基隆-高雄間(404.2キロメートル)で全通した。台湾総督府鉄道の営業収支は、当初10年間の赤字が予想されたが、実際には1899年(明治32年)から3年間にとどまり、以後大幅な黒字を計上し、台湾総督府の歳入の10-20パーセントを占めた。1899年(明治32年)には、総督府の交通局に鉄道部が設けられ、鉄道経営の基礎が確立された。また台湾島東部にも台東線を敷設し、台湾の近代化と地域開発の原動力となった。 台湾総督府鉄道の営業収入の過半は、貨物輸送によるものであった。主要貨物は、砂糖、米、石炭、木材、肥料の5品目であり、1913年貨物総輸送量の50パーセントを占めた。とりわけ砂糖(15パーセント)、米(11パーセント)、石炭(11パーセント)が三大貨物であった。台湾総督府鉄道は、貨物運賃政策によりこれらの貨物の吸収に努めた。砂糖、米、石炭、食塩、肥料等は総督府の産業育成策あるいは殖産興業政策に呼応し、当初の運賃の半額になった。この低運賃政策は、土着の輸送業を破壊しつつ、鉄道への吸貨を促進した〔「岩波講座 近代日本と植民地(第3巻)植民地化と産業化」所収、高橋泰隆「植民地の鉄道と海運」〕。 交通局鉄道部の他にも、営林所による阿里山線(現在の阿里山森林鉄路)や製糖会社の専用線や私鉄線なども存在していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「台湾総督府鉄道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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