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台湾青年(たいわんせいねん)は、日本統治時代の1920年(大正9年)に、「新民会」が在日台湾人留学生対象として発行した機関紙である〔呉(2010年)178ページ〕。 == 概説 == 1920年(大正9年)1月11日、東京の台湾留学生ならびに林献堂らが中心となり、台湾における台湾人の地位の向上を目指して「新民会」を成立させた〔。新民会は、学生会員を傘下の「台湾青年会」に所属させ、同年7月16日、機関誌として在日台湾人留学生を対象に、東京にて月刊『台湾青年』を創刊した。創刊の辞には、「諸君!立てよ、時期は正に到来した。義を見て為さざるは勇なき懦怯者、世界の潮流に反抗するものは文明の落伍者・・・」とあった。これには、中国2000年の封建制帝国王朝を倒した辛亥革命、ロシア革命、そして第一次世界大戦後の民族自決主義の潮流と、さらには日本の大正デモクラシーの影響を受けている〔伊藤(1993年)104ページ〕。本「台湾青年」は台湾人による政治運動の最初の機関刊行物である〔〔。編集主任は、蔡培火であり、王敏川、林呈禄、蔡恵如らが共同で編集にあたった。また、雑誌社は東京市麹町区飯田町に置かれた。この『台湾青年』は、1922年(大正11年)4月1日に名称を『台湾』とした〔。翌1923年(大正12年)半月刊の『台湾民報』として刊行されるようになった。『台湾青年』ならびに『台湾』は、日本語と漢文とが併用されていたが、『台湾民報』からは、おりから提唱されていた中国白話文が用いられている〔若林(2001年)272ページ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「台湾青年」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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