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右代 啓祐(うしろ けいすけ、1986年7月24日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は十種競技で現在の日本記録保持者。北海道江別市出身。国士舘大学体育学部卒業、国士舘大学大学院スポーツ・システム研究科博士課程在学中。スズキ浜松アスリートクラブ所属。身長196cm。体重95kg。血液型A型。 なお、「祐」のしめすへんは旧字体である。 == 競技経歴 == 小学校時代はドッジボール少年団に所属していた。 大麻東中学校で陸上部に属し、1年生でハードル走、2年生で100m、砲丸投、走高跳の三種競技Aに取り組んだ。1年で168cmだった身長が2年で183cm、3年で188cmと急激に伸び、膝の痛みを誘発するオスグッド病によって思い切り練習ができなかったという〔『月刊陸上競技』2014年7月号、講談社、231頁〕。中学では通信陸上北海道大会での走高跳3位が最高位。 札幌第一高等学校の大町和敏監督に推薦入学の打診を受け同校へ入学。成績は1年生でインターハイ北海道地区大会・走高跳9位。秋の新人戦ではやり投に出場。走高跳の練習中に骨盤を剥離骨折し、1年生の冬季はウエイトトレーニングしか練習できなかったという。2年生の春にはオスグッド病も完治し、走高跳とやり投でインターハイへ出場した。 高校2年の冬、大町監督から八種競技への転向の打診を受け、初戦の札幌支部大会で5606点の北海道新記録をマーク、3試合目のインターハイでは2位となった。 大学は監督の母校国士舘大学へ進学した。1年で日本ジュニア選手権優勝、2年次に7055点、3年次に7166点を記録。4年生次に全日本インカレと日本選抜和歌山で優勝している。大学での自己ベストは7512点であった。 2009年に卒業し大学院へ進学。この年の日本選抜和歌山大会で日本歴代2位の7930点をマーク。 2011年、スズキに入社する。同年6月の日本選手権混成競技で日本人初となる8000点超えの8073点をマーク、日本記録を塗り替えた。同時に世界選手権参加B標準(8000点)を突破した。同年8月27日、28日の世界陸上大邱大会では7639点の20位であった。 2012年6月、日本選手権で自身2度目の8000点オーバーとなる8037点を記録して3連覇を達成し、この種目で1964年東京オリンピックに出場した鈴木章介以来、日本選手48年ぶりとなるオリンピック出場が決まった。同年8月8日、9日のロンドンオリンピックは7842点で20位。 2013年6月の日本選手権は7808点で優勝、4連覇を達成。同年8月10日、11日の世界陸上モスクワ大会は7751点で22位。同年11月、大阪高槻市にあるスポーツクラブトライにて中川隆が提唱するトライ体幹理論を3日間18時間に及ぶパーソナル合宿で直接学んだ。右代は2014年の日本記録更新時の取材にて、この時に体の正しい使い方を学べた事で自分の意思で記録を更新出来たと語っている。 2014年4月27日、日本選抜陸上和歌山大会で8143点を記録し日本記録を更新。6月1日の日本選手権混成競技では自身の掲げる目標(8300点)を越える8308点を記録し、日本新で5連覇を達成した。同年9月30日から10月1日にかけて行われた2014年アジア競技大会(韓国・仁川)では8088点を記録し金メダルを獲得した。同年12月22日に東京で開かれた日本陸上競技連盟の年間表彰式「アスレティック・アワード」では年間最優秀選手に選ばれた〔陸上、年間最優秀選手は右代 室伏に特別賞 JOCニュース 2014年12月22日〕。 2015年7月5日の第99回日本選手権では8058点で同大会6連覇を達成。同年8月28日、29日の世界陸上北京大会は7532点で20位。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「右代啓祐」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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