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右近 徳太郎(うこん とくたろう、1913年9月23日 - 1944年3月)は、兵庫県武庫郡住吉村(現:神戸市東灘区)出身のサッカー選手。 豊富な運動量とパスの技術に長けるゲームメーカーで、フォワードからフルバックまでどこでも水準以上のプレーをして見せたという。 == 生涯 == 兵庫県立第一神戸中学校(現:兵庫県立神戸高等学校)の4年生だった1930年、第12回全国中等学校蹴球選手権大会で全国優勝を経験。翌1931年に慶應義塾大学に入学し、ソッカー部では予科1年時から主力選手として活躍。在籍中、チームは関東大学リーグなど大学対抗大会において数々の好成績を挙げた。当時のソッカー部監督だった松丸貞一をして「天才」と言わしめたという。 大学在学中の1934年5月に開催された第10回極東選手権競技大会のサッカー日本代表に選出されて、5月15日のフィリピン代表戦で初出場した。 1936年にはベルリンオリンピックのサッカー日本代表に選出され、1回戦のスウェーデン代表戦で同点ゴールを挙げた(ベルリンの奇跡を参照)。 1937年に慶應義塾大学を卒業し、明治鉱業に入社した。1940年6月16日に甲子園南運動場で開催された紀元二千六百年奉祝東亜競技大会のフィリピン代表戦が最後の日本代表としての出場となった。 1942年に第二次世界大戦のため召集を受け陸軍に従軍、1944年3月にブーゲンビル島で戦死したと伝えられている〔竹内 p.213〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「右近徳太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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