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司馬凌海 : ミニ英和和英辞書
司馬凌海[しば りょうかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うま]
 【名詞】 1. (1) horse 2. (2) promoted bishop (shogi) 
: [りょう]
 【名詞】 1. endure 2. keep out (rain) 3. stave off 4. tide over 5. pull through 6. defy 7. slight 8. surpass 9. excel 10. eclipse

司馬凌海 : ウィキペディア日本語版
司馬凌海[しば りょうかい]
司馬 凌海(しば りょうかい、天保10年11月28日1840年1月2日) - 明治12年(1879年3月11日)は、医学者語学者。愛知医学校校長。佐渡島真野町新町(現:新潟県佐渡市真野新町)生まれ。は盈之(みつゆき)、凌海は通称。幼名、島倉伊之助。
語学の天才と言われ、独・英・蘭・仏・露・中の6か国語に通じていた。松本良順(松本順)、ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールトに師事していたことから、特に医学用語の日本語訳を多く作っている。
ドイツ語学者司馬亨太郎は長男、棋士喜多文子は二女。
== 略歴 ==

*天保10年(1839年)11月28日、島倉栄助・ラクの長男として佐渡島雑太郡新町村に生まれる。
*6歳で佐渡の相川学館に入塾。
*嘉永3年(1850年)11歳で、祖父伊右衛門に連れられ江戸に出て唐津藩儒者山田寛漢学を学び、13歳で奥医師松本良甫、松本良順のもとでオランダ語医学を学ぶ。
*下総国印旛郡佐倉の佐藤泰然の私塾順天堂蘭学蘭方を学ぶ。
*佐渡に帰島。
*安政4年(1857年)、師の松本順と長崎へ行きオランダ軍医ポンペに学ぶ。
*文久元年(1861年)、ポンペに破門される。
*文久2年(1862年)、『七新薬』を著し、尚新堂から刊行。
*肥前国松浦郡平戸で平戸藩医師・岡口等伝の娘の婿になる。長男・司馬亨太郎が生まれる。
*祖父伊右衛門により佐渡に連れ戻される。
*横浜に出る。
*江戸の下谷練塀町で私塾「春風社」を開く。
 *教え子に生田秀(ビール醸造)、清水郁太郎(医学者、東京大学教授)。
*明治元年(1868年)、医学校(現・東京大学医学部)三等教授。
*明治3年(1870年)3月、少博士・正七位。
*明治3年(1870年)7月、少助教。
*明治5年(1872年)1月、大学大助教。
*後に文部大教授。
*明治5年(1872年)、日本最初のドイツ語辞典『和訳独逸辞典』を出版。
 *但し、『孛和袖珍字書』という辞典も同時期に出ている。日本初というのは辞典、辞書の定義によると思われる。
*明治8年(1875年)5月、元老院少書記官
*明治8年(1875年)12月、辞職。
*明治9年(1876年公立医学所(後に愛知医学校愛知県立医学校愛知県立愛知医科大学名古屋医科大学と改称。現・名古屋大学医学部)教授。
 *教え子に後藤新平
*明治10年(1877年)名古屋で開業。
*明治12年(1879年)3月11日、肺結核で神奈川県戸塚にて死去。享年40(満39歳没)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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