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司馬申 : ミニ英和和英辞書
司馬申[しば しん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うま]
 【名詞】 1. (1) horse 2. (2) promoted bishop (shogi) 
: [さる]
 【名詞】 1. ninth sign of Chinese zodiac (The Monkey, 3p.m.-5p.m., west-southwest, July) 

司馬申 : ウィキペディア日本語版
司馬申[しば しん]
司馬申(しば しん、? - 586年)は、南朝梁からにかけての人物。は季和。本貫河内郡温県
== 経歴 ==
梁の尚書左民郎の司馬玄通の子として生まれた。14歳で囲碁を得意とし、父に従って吏部尚書の到漑に仕えた。梁州刺史の陰子春に気に入られて召し出された。邵陵王蕭綸が丹陽尹となると、申はその下で主簿となった。侯景の乱が起こると、父母がともに死没し、このため終身の菜食を自ら誓った。
梁の元帝が承制すると、申は開遠将軍として起用され、鎮西外兵記室参軍に転じた。侯景が郢州を攻撃すると、申は巴陵に拠った都督の王僧弁に従い、たびたび献策して用いられた。王僧弁が陸納を討ったとき、申は従軍して身を盾にして王僧弁を守り、散騎侍郎に任じられた。555年紹泰元年)、儀同侯安都の下で従事中郎となった。
557年永定元年)、陳が建国されると、安東臨川王諮議参軍に任じられた。562年天嘉3年)、征北諮議参軍に転じ、廷尉監を兼ねた。564年(天嘉5年)、鎮東諮議参軍に任じられ、起部郎を兼ねた。戎昭将軍・江乗県令として出向した。入朝して尚書金部郎となった。左民郎に転じたが、公務が原因で免官された。569年太建元年)、貞威将軍・征南鄱陽王諮議参軍として再起した。577年(太建9年)、秣陵県令に任じられ、清廉有能で知られた。任期を終えてほどなく、東宮賓客として召され、まもなく東宮通事舎人を兼ねた。舎人のまま員外散騎常侍に転じた。
582年(太建14年)、陳叔陵が反乱を起こし東府を占拠しようとしたため、申は右衛の蕭摩訶を召して先に東府を押さえさせ、蕭摩訶が陳叔陵を追撃して斬ると、城中に入って陳叔陵の府庫を接収した。申は後主の賞賛を受け、功績により太子左衛率に任じられ、文招県伯に封じられ、中書通事舎人を兼ねた。まもなく右衛将軍に転じ、通直散騎常侍の位を加えられた。病のため邸に帰り、散騎常侍の位を加えられた。
586年至徳4年)、死去した。侍中・護軍将軍の位を追贈され、爵位は侯に進んだ。は忠といった。
子の司馬琇が後を嗣ぎ、官は太子舎人に上った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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