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この記事では言語(げんご、)、特に自然言語について述べる。 == 概要 == 広辞苑や大辞泉には次のようにある〔広辞苑 第六版「げんご(言語)」〕。 *人間が音声や文字を用いて思想・感情・意志 等々を伝達するために用いる記号体系〔。およびそれを用いる行為(広辞苑〔)。音声や文字によって、人の意志・思想・感情などの情報を表現したり伝達する、あるいは他者のそれを受け入れ、理解するための約束・規則。および、そうした記号の体系(大辞泉〔大辞泉「げんご(言語)」〕)。 *ある特定の集団が用いる、音声や文字による事態の伝達手段〔。(個別言語のことで、英語・フランス語・日本語などのこと〔) *(言語学用語)ソシュールの用語「langue ラング」の日本語での訳語。 辞典等には以上のようにあるわけだが、これは大きく二分すると「自然言語」と「形式言語」とがあるうちの自然言語について述べている。しかし、1950年代以降の言語学などでは、定義中にも「記号体系」といった表現もあるように形式的な面やその扱い、言い換えると形式言語的な面も扱うようになっており、こんにちの言語学において形式体系と全く無関係な分野はそう多くはない。形式的な議論では、「その言語における文字の、その言語の文法に従った並び」の集合が「言語」である、といったように定義される。 言語は、人間が用いる意志伝達手段であり、社会集団内で形成習得され、意志を相互に伝達すること(コミュニケーション)や、抽象的な思考を可能にし、結果として人間の社会的活動や文化的活動を支えている〔ブリタニカ百科事典「言語」〕。言語(個別言語)には、文化の特徴が織り込まれており、共同体のメンバーは、(その共同体で用いられている)言語の習得をすることによって、その共同体での社会的学習、および(その共同体で望ましいとされる)人格を形成してゆくことになる〔。 ソシュールの研究が、言語学の発展の上で非常に重要な役割を果たしたわけであるが、ソシュール以降は、「共同体の用いる言語体系」のことは「langue ラング」と呼ばれ、それに対して、個々の人が行う(個別の)言語活動は「parole パロール」という用語で呼ばれるようになっている〔。(Langue and paroleも参照)。 こうした言語学で(ソシュール以降の言語学)は言語をどのように理解しているか、その用語も用いて説明すると、『「外的形式としての言語」は「音声言語」および音声言語を前提とした「文字言語」がある。「音声言語」は、「発話」と「了解」に分けられ、「言語単位」(音素・形態素・単語)を素として音韻体系・文法体系を構成している〔』ということになる。 《音韻》 と 《意味》の間の結び付け方(連合)、また、《文字》と音韻・形態素・単語との間の結び付け方(連合)は、社会的に作られている習慣である〔(シニフィアンとシニフィエの記事も参照)。 なお、(2016年)現在の言語学は、ソシュールの影響が下地にあるものの、主として1950年代前後に始まり広がった、チョムスキーによるものをはじめとする諸理論、およびそれ以降の、それらへの修正あるいは反論、に由来するものが多くを占めており、普通の言語学の議論では「ソシュールの言語学」(「近代言語学」あるいは「ヨーロッパ構造主義言語学」とも。「構造主義言語学」には「アメリカ構造主義言語学」(構造主義文法を参照)もあるので注意)だけに拘ることは、あまりしない。 自然発生的にあるものとしての「自然」言語、の他、近代以降、エスペラントなどの国際補助語など、人工言語も作られた。しかし、「人工言語」と呼ばれる言語のうち、エスペラントなど多くは、発生が積極的な人為によりなされたという点以外は、多くの点で自然言語と同様のものであり、偏見的な理由以外には区別する理由は無い(人工言語の記事も参照のこと)。自然言語の持ついくつかの性質を全く削いだ、形式言語として設計されている人工言語も一部にはある(ログランなど)。 (言語学の用語に沿って)「動物のコミュニケーションの体系」も「言語」と呼ぶこともある、という主張がある。しかし、チョムスキー理論では「普遍文法」などの概念において、言語は人間のものという大前提があり、どういう意味で「言語学の用語に沿って」なのかは不明確である。 他にも、言語にはさまざまな分類がある。前述の音声言語と文字言語の他、口語、口頭言語、書記言語、文語、といった分類があるが、重なる部分もありはっきり分類できるものでもない。また、一例として、「日本語対応手話」は一般の日本語の話し言葉や書き言葉と同一の言語の「視覚言語バージョン」であるが、「日本手話」は一般の日本語とは異なる言語と考えられており、そちらは音声言語や文字言語とは異なる「視覚言語」ということになる、など、分類は単純ではない。また屈折語・膠着語・孤立語といったような分類もある。詳細は言語類型論を参照。 自然言語以外については、人工言語・形式言語・コンピュータ言語などの各記事を参照。 実際の言語を広く研究すると、厳密には、言語の定義には多くの困難が伴う。コミュニケーションの「規則」がどこかに明記されており人々がそれを参照しながらコミュニケーションが行われるわけではなく、実際人々が単一の規則に従っていないと考えさせる材料もある。方言のような地理的なバリエーション、新語の普及のような歴史的変化、言い間違いや言いかけに終わる発言など、文法として通常考えられる規則に反する発話などが、その例として考えられる。(むしろ現代の言語学でさかんに研究されているテーマのようにも思われるが) なお、ジャック・デリダという、フランスの一般にポスト構造主義の代表的哲学者と位置づけられている哲学者は、「声」を基礎とし文字をその代替とする発想(「音声中心主義」、"Phonocentrism" とデリダは称するもの)が言語学に存在する、と主張し、それに対する批判を投げかける立場を主張した(『声と現象』)。『グラマトロジーについて』と「差延」の記事も参照。 個別言語は、民族の滅亡や他言語による吸収によって使用されなくなることがある。このような言語は死語と呼ばれ、死語が再び母語として使用されたことは歴史上にただ一例、ヘブライ語の例しかない。しかし、ヘブライ語は自然に復活したわけでも完全に消滅していたわけでもなく、文章語として存続していた言語を、パレスチナに移住したユダヤ人たちが20世紀に入って日常語として人工的に復活させ〔「物語 エルサレムの歴史」p166 笈川博一 中央公論新社 2010年7月25日発行〕、イスラエル建国とともに公用語に指定して完全に再生させたものである。このほかにも、古典アラビア語、ラテン語、古典ギリシャ語のように、日常語としては消滅しているものの文章語としては存続している言語も存在する。 近年、話者数が非常に少ない言語が他言語に飲み込まれて消滅し、新たに死語と化すことが問題視されるようになり、消滅の危機にある言語を危機言語と呼ぶようになった。これは、世界の一体化が進み、交通網の整備や流通の迅速化、ラジオ・テレビといったマスメディアの発達によってそれまで孤立を保っていた小さな言語がそのコミュニティを維持できなくなるために起こると考えられている。より大きな視点では英語の国際語としての勢力伸張による他主要言語の勢力縮小、いわゆる英語帝国主義もこれに含まれるといえるが、すくなくとも21世紀初頭においては英語を母語とする民族が多数派を占める国家を除いては英語のグローバル化が言語の危機に直結しているわけではない。他主要言語圏においても同様である。言語消滅は、隣接したより大きな言語集団(必ずしもその国の主要集団であるわけではない)との交流が不可欠となり、その言語圏に小言語集団が取り込まれることによって起きる。 : 世界に存在する自然言語の一覧は言語の一覧を参照 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「言語」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Language 」があります。 スポンサード リンク
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