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吉備大臣入唐絵巻(きびのおとど にっとう えまき 又は、きび だいじん にっとう えまき)とは、日本の12世紀末から13世紀初めに作られた〔ボストン美術館は12世紀後半とし、矢代幸雄は12世紀末から13世紀のごく初頭、秋山光和は平安時代末期から鎌倉時代初め、若杉準治は鎌倉時代にかかる頃、と推測している。〕絵巻物の一つ。所蔵者は、アメリカのボストン美術館。遣唐使として唐に渡った吉備真備が、現地で数々の難題を吹っかけられるも、鬼となった阿倍仲麻呂の助けを借りてこれを尽く退ける説話を生き生きと描いた、院政期文化を代表する絵巻物の名品である。 == 概要 == 絵巻の内容は、大江匡房の『江談抄』に記される物語と一致しており、遣唐使の吉備真備が在唐中に幽閉され、鬼となった安倍仲麻呂に導かれて、皇帝による『文選』や囲碁による無理難題を解いて、遂に帰国を達成するというものである。但し、現存の絵巻は冒頭の真備が入唐して幽閉される詞書および、後半部分である「野馬台詩」の解読に成功して帰国を果たす場面は欠いている。ただし冒頭の詞書については、元々無かったとする説もあり〔源豊宗 『大和絵の研究』角川書店、1976年。佐和隆研 「『信貴山縁起絵巻』と鳥羽僧正覚猷考証」(小松(1977)に収録)。神田 (2010) p.35、など。〕、錯簡によって後半の「[野馬台詩」の部分が、2ヶ所ないし3ヶ所現存部分に紛れ込んでいる可能性が指摘されている〔黒田は第17紙から第20紙、第8紙から第12紙、及び第38紙と第39紙の一部の計3ヶ所(黒田 (2005))、神田は第17紙から20紙、及び第38紙の2ヶ所としている(神田 (2010) pp.24-32)。〕。元は全長24.521mにも及ぶ1巻の巻物だったが、昭和39年(1964年)東京オリンピック記念特別展で里帰りした際に、保存や展示の便宜をはかるため4巻に改装された。 史実においては、真備と仲麻呂は養老元年(717年)に共に入唐するも仲麻呂は唐に残留し、宝亀元年(770年)に唐で没する。真備の方は天平7年(735年)に帰国し天平勝宝4年(752年)に再度入唐しており、鑑真らと共に帰国している。よって、仲麻呂存命中ではあるが真備の2回目の入唐時のこととして描かれているものと考えられる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉備大臣入唐絵巻」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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