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吉備津丸 : ウィキペディア日本語版
吉備津丸[きびつまる]

吉備津丸(きびつまる)は、日本陸軍日本郵船の名義で1943年(昭和18年)末に竣工させた揚陸艦上陸用舟艇の母艦機能を有し、陸軍特殊船と呼ばれた。太平洋戦争ではフィリピンなどへの部隊輸送に使用された。終戦の日直前の1945年(昭和20年)8月7日瀬戸内海機雷に接触して復旧不能となり、放棄された。
== 建造 ==
日本陸軍は、1934年(昭和9年)に建造した「神州丸」の成功を踏まえ、同種の陸軍特殊船の量産を計画した。しかし、平時から大型船多数を維持することは予算的に困難であった。そこで、民間海運会社に補助金を交付して民間船扱いで建造させ、有事にのみ徴用する形式が採られることになった〔。民間船といっても名目的で、設計はすべて陸軍側で手配され、船主側には竣工まで性能すら明かされていなかった〔。船主従業員の立ち入りも規制され、実際に商船として運航する意図があったかは疑問視される〔。その1隻として、日本郵船が船主となって発注されたのが本船である。日立造船因島造船所で建造され、1943年(昭和18年)12月29日に竣工した。船名は、日本郵船側では敵前上陸にちなんで「陸前丸」を予定したが、東條英機首相兼陸相により「吉備津丸」と命名された。「吉備津丸」の名は、神武東征の際の揚陸地点とされる吉備津神社にちなむ〔。なお、陸軍特殊船には、上陸戦という用途にちなんで港を意味する「津」が付いた名前が多い〔岩重(2009年)、101頁。〕。
「吉備津丸」は、陸軍特殊船のうち基本形の甲型に属する。外形は「神州丸」が軍艦に近い特異な姿だったのに対し、正体を秘匿するため通常の貨客船などに似せた姿となっている〔。しかし、船体内は上陸用舟艇を収容する全通甲板式の格納庫になっており、船尾に急速発進用の大型ハッチを備えるなど商船とはまったく異なった構造である。兵員居住区画としての使用を想定したためか、舷窓が多く設けられている〔。上甲板には4か所に船倉口が設けられ、『日本郵船戦時船史』によればマッカンキング式の横にスライドする蓋で覆われていた〔。荷役設備として、前後の甲板中央付近に単脚型のデリックポスト各1基、中央構造物の前後に門型のデリックポスト各1組を有する。機関は蒸気タービン機関を採用し、試運転では23ノットの高速を記録した〔。ただし、燃料の重油消費量が極めて多かった〔。また、航行中にローリングが激しく〔、転舵の際には船体が大きく傾くなど安定性は不良であった〔。
武装は、高射砲4-8門などを装備した船舶砲兵2個中隊程度を適宜搭載する。1944年末の武装例では、船首と船尾の砲座に高射砲4門ずつを布陣させたほか、海軍から提供の九六式二十五粍高角機銃12門、打上筒 10基などの対空兵装を備えていた。潜水艦対策用には、爆雷す号探知機と呼ばれたソナーも積んでいる〔。
完全な同型船は存在しない。同じ甲型に属する陸軍特殊船としては、三井造船玉野工場で「摩耶山丸」「玉津丸」が建造されているものの、ディーゼルエンジンを主機とし、デリックポストが全て門型であるなど設計が異なる〔。船体の基本設計は丙型(航空機搭載仕様)の「あきつ丸」を基礎にしたと推定される〔。本船と同じ日立造船因島造船所では、戦時標準船に準じた戦時急造仕様のM甲型「日向丸」「摂津丸」が後に建造されており、これらは本船を一部簡易化した設計である〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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