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吉原慎也 : ミニ英和和英辞書
吉原慎也[よしはら しんや]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [なり]
 (n) a sum of money

吉原慎也 : ウィキペディア日本語版
吉原慎也[よしはら しんや]

吉原 慎也(よしはら しんや、1978年4月19日 - )は、茨城県出身の元サッカー選手。現役時のポジションはゴールキーパー。妻は囲碁女流棋士吉原由香里
== 来歴 ==
9歳でサッカーを始める〔選手&スタッフプロフィール 吉原慎也 Internet Archive (データ元: ジュビロ磐田公式サイト) 2011.3.22 09:38 (UTC) 閲覧〕。小学生時代は日立市内の少年サッカークラブに、中学生時代は通学先のサッカー部に在籍した。
1991年県立日立工業高校に進学。1年次よりレギュラーとして試合に出場した。
高校卒業後、横浜マリノスに入団したが日本代表の守護神でもある川口能活の壁に阻まれ出場機会に恵まれず、1999年J2アルビレックス新潟期限付き移籍した。3月14日川崎フロンターレとの開幕戦でJリーグ公式戦に初出場。新潟には2000年までの2シーズン在籍し、野澤洋輔木寺浩一という実力者がいたがリーグ戦44試合に出場した。
2001年にマリノスに復帰したが、シーズン途中の8月に川崎フロンターレに完全移籍した。当初は浦上壮史の控えだったが2003年よりレギュラーとして試合に出場するようになり、同年はリーグ戦全試合にあたる44試合に出場した。2004年には41試合に出場、そのうち第8節の横浜FC戦から第14節の湘南ベルマーレ戦までの計7試合で連続完封勝利を経験した〔選手出場記録 川崎フロンターレ 2004Jリーグ ディヴィジョン2 1ページ Jリーグ公式サイト 2011.3.22 10:05 (UTC) 閲覧〕。川崎はJ2で優勝し、5年ぶりにJ1へと復帰した。
2005年シーズンは開幕節から第3節までは下川誠吾の控えとしてベンチ入りし〔選手出場記録 川崎フロンターレ 2005Jリーグ ディヴィジョン1 1ページ Jリーグ公式サイト 2011.3.22 10:18 (UTC) 閲覧〕 第4節の東京ヴェルディ1969戦から出場したが、第13節のジュビロ磐田戦からは再び控えとしてベンチに入るようになった。
2006年シーズンは序盤こそ相澤貴志の控えとして過ごすが、9月17日に行われた第23節ジュビロ磐田戦・9月23日の第24節ガンバ大阪戦の2試合でチームは8失点し共に敗北。第25節のサンフレッチェ広島戦より再びレギュラーとして出場するようになった〔選手出場記録 川崎フロンターレ 2006Jリーグ ディヴィジョン1 2ページ Jリーグ公式サイト 2011.3.22 10:29 (UTC) 閲覧〕。6勝2分2敗の記録を残した。川崎はJ1リーグで2位となりアジアチャンピオンズリーグへの出場権を獲得した。
2007年東京ヴェルディ1969期限付き移籍した〔吉原慎也選手期限付き移籍加入のお知らせ 東京ヴェルディ公式サイト 2007.1.5付ニュースリリース〕。
高木義成の控えとしてスタートしたが、4月29日の第12節水戸ホーリーホック戦より試合出場機会を得た〔選手出場記録 東京ヴェルディ1969 2007Jリーグ ディヴィジョン2 1ページ Jリーグ公式サイト 2011.3.22 10:37 (UTC) 閲覧〕 が、7月1日の第25節サガン鳥栖戦にて試合中に負傷退場、左膝後十字靭帯損傷で全治9週間と診断された〔吉原 慎也選手の負傷について 東京ヴェルディ公式サイト 2007.7.9付ニュースリリース〕。9月開催の第42節より控えとして復帰。この年、ヴェルディはJ2で2位になり3年ぶりのJ1復帰を果たした。シーズン終了後、川崎に帰還した〔吉原慎也選手復帰のお知らせ 川崎フロンターレ公式サイト 2008.1.9付ニュースリリース〕。2008年は前年に名古屋グランパスから移籍した川島永嗣が正GKとして君臨しており、試合出場はJリーグヤマザキナビスコカップ予選リーグ第6節のジェフ千葉戦の1試合のみであった。
2009年ジュビロ磐田へ期限付き移籍した〔吉原慎也選手川崎フロンターレより期限付き移籍加入のお知らせ ジュビロ磐田公式サイト 2009.1.10付ニュースリリース〕。当初は日本代表でもある川口能活八田直樹に次ぐ第3GKとみなされていたが、第27節のFC東京戦よりベンチ入りするようになり〔第26節の京都サンガFC戦で川口が負傷しそれまで控えであった八田が代役となったため。〕、10月30日開催の天皇杯3回戦の鹿屋体育大学戦では八田の負傷により延長戦から途中出場し、勝利に貢献。さらに八田と大畑拓也が相次いでインフルエンザに感染したために最終節のヴィッセル神戸戦にも出場した。
2010年柏レイソルに完全移籍したが、〔吉原 慎也選手が移籍加入 柏レイソル公式サイト 2010.1.13付ニュースリリース〕 不動の正GK菅野孝憲の前に出番はなく、南アフリカW杯終了後の7月14日に現役引退を表明した〔吉原 慎也選手 現役引退 柏レイソル公式サイト 2010.7.14付ニュースリリース〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「吉原慎也」の詳細全文を読む




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