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吉尾弘 : ミニ英和和英辞書
吉尾弘[よしお ひろし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [お]
 【名詞】 1. tail 2. ridge 

吉尾弘 : ウィキペディア日本語版
吉尾弘[よしお ひろし]
吉尾弘(よしお ひろし、1937年昭和12年)4月 - 2000年平成12年)3月13日)は、日本登山家東京都墨田区錦糸町生まれ。第2次RCC同人。日本勤労者山岳連盟名誉会員。
== 経歴 ==

*1943年(昭和18年)、小学校1年時に、千葉県船橋市に移住する。
*1953年(昭和28年)、東京都立墨田工業高等学校定時制)に進学。毎日新聞社へ給仕として入社。
*1955年(昭和30年)、4月に東京朝霧山岳会に入会する。
*1957年(昭和32年)、3月29日に谷川岳一ノ倉沢滝沢下部ルートを、原田輝一と共に積雪期初登攀に成功する。
*1958年(昭和33年)、1月に北岳バットレス中央稜を、積雪期初登攀。第2次RCC同人となる。
*1959年(昭和34年)、3月に東京朝霧山岳会を退会し、9月にはアッセントクラブの創設に参加する。
*1960年(昭和35年)、1月に奥又白四峰正面壁北条・新村ルートを登攀後、屏風岩中央カンテを下降する。
*1962年(昭和37年)、1月に穂高岳の屏風岩東壁から前穂高岳東壁右岩稜、同Dフェースの3ルートの積雪期連続登攀に成功する。
*1964年(昭和39年)、東京勤労者山岳会に入会する。 東京ハイキングクラブを創設。        
*1965年(昭和40年)、8月に日本合同登山隊の隊長としてヨーロッパアルプスに遠征し、ヴェッターホルン北壁、ドリュ北壁を登攀する。
*1966年(昭和41年)、日本勤労者山岳連盟の副会長、1972年(昭和47年)には、同会長に就任する。
*1969年(昭和44年)、1月に穂高屏風岩中央壁JECCルートを積雪期初登。
*1973年(昭和48年)、前年の奥山章の死去に伴い、第2次RCCエベレスト(登攀隊長の予定)遠征隊への参加を断念。
*1978年(昭和53年)、ネパールパビール峰登山隊の隊長として、隊員13名と共に初登頂を果たす。
*1981年(昭和56年)、チョ・オユー(小松猛隊長,吉尾弘副隊長)遠征隊に参加。
*1983年(昭和58年)、ダウラギリⅠ峰北東稜(長谷川恒男隊長,吉尾弘副隊長)遠征隊に参加。
*1987年(昭和62年)、グランドジョラス北壁ウォーカー稜登攀に成功。
*1993年(平成5年)、ドリュ西壁のボナッティピラーなどを登攀する。
*2000年(平成12年)3月13日、谷川岳一ノ倉沢滝沢リッジを登攀中に滑落死。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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