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吉岡 長増(よしおか ながます)は、戦国時代の武将。豊後国大友氏の一族吉岡氏当主。大分郡高田庄の鶴崎城・千歳城主。主に大友義鑑・義鎮(宗麟)父子の二代にわたって仕えた。子には鑑興(あきおき、後に鎮興に改名)のほか、鑑盈(あきみつ)や統定(むねさだ)がいるとされるが史料(系図)によって様々であり確たる証拠はない。法名は宗歓(そうかん)。 == 出自 == 大友親秀の子・頼宗が野津氏を称し、その子・親次が吉岡氏を称したとされる。親次の弟・親重は佐土原氏を称し、長増と同時期の頃には佐土原鑑親の名も見られる。 系図は 吉岡親次─親政─親治─惟親─惟孝─為則(弟に政俊)─為頼─則忠─重孝(弟に重治)─長増 とされているが、この系図は後世の吉岡氏が作り直したもので、当時の本物の系図は焼失したらしく、吉岡鑑興のところを見ると、『永禄3年に亡くなった』(実際は天正6年に亡くなる)、『後は吉岡鑑盈が継いだ』(存在が確認できない)、吉岡長増が『鑑忠』と名乗っていた(天文16年にも長増と名乗っているのが確認される)など誤りが多く、吉岡長増の父親は吉岡重孝になっているが本当かわからず、長増以前の人物に関しては不明な点が多い。信憑性の高い史料と見られている「大友家婚姻録」には、長増の子に林式部(吉岡鑑興の弟)という人物が記載されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉岡長増」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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