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吉川平介 : ミニ英和和英辞書
吉川平介[きっかわ へいすけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [かい]
  1. (n,vs) shell 2. shellfish 3. being in between 4. mediation 5. concerning oneself with

吉川平介 : ウィキペディア日本語版
吉川平介[きっかわ へいすけ]
吉川 平介(きっかわ へいすけ、生年不詳 - 天正16年12月5日1589年1月21日))は安土桃山時代豊臣政権官僚豊臣秀長の配下として、紀伊国の統治にあたった。
もとは織田信長の下で伊勢大湊の船奉行を務めていた。羽柴秀吉紀州攻めの後、羽柴秀長の配下として紀伊湊に入り〔もともと熊野灘で活動する船侍であり、その水軍四国攻めで活用するための配置という見方もある(『豊臣秀長のすべて』P169)。〕、七千石を与えられて雑賀に築城した。天正14年(1586年)に北山一揆が勃発すると、秀長に従って出陣し、一揆を鎮圧した。
紀伊湊は紀伊の特産である木材の集散地であり、同地を支配する平介は「山奉行」として材木の管理・調達の任に当たった。当時畿内では方広寺大仏殿の建立などのため、熊野木材の商品価値が高かった。天正16年に秀長の命令で熊野の木材2万余本を伐採して大坂で販売したが、その売買の代金を着服して私腹を肥やしたことが秀吉に報告され、同年12月5日に大和西大寺で処刑され、首は洛中にさらされた。この事件では秀長も部下の監督責任を問われ、「天下の面目を失った」(『多聞院日記』)上に、翌年正月の礼で秀吉への拝謁を許されなかった。
==脚注==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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