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吉川 広正(きっかわ ひろまさ)は、江戸時代前期の岩国領第2代領主。 == 経歴 == 周防国由宇村館にて生まれた。慶長19年(1614年)に元服後、京都二条城にて徳川家康・秀忠に御目見した。形式上家督を継承したが、まだ若年すぎたため父吉川広家が藩政を後見した。翌元和2年(1616年)には竹姫を正室に迎えたが、一度も岩国を訪れることはなかった。 寛永2年(1625年)に広家が死去すると、独自の領内統治を開始する。寛永17年(1640年)には紙に関する法を定めて、紙の製造を保護して専売制度を設け、岩国領の経済・財政の有力な柱とした。また錦川のデルタ地帯を積極的に干拓して新田の開発を行う等、領内の経済的基礎を作り上げた。このほか瀬田八幡宮を再興している。 また、寛永9年(1632年)から毛利秀元に代わって長州藩の執政を務め、程なく辞するものの、毛利綱広の長州藩主就任時に再度江戸幕府より後見に任じられている。 明暦3年(1657年)には現在の錦帯橋の元となる橋を建築するが、万治2年(1659年)の大雨で流出した。寛文3年(1663年)8月28日、家督を長男・広嘉に譲って隠居する。 寛文6年(1666年)に隠居館で病没した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉川広正」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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