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吉川芳秋 : ミニ英和和英辞書
吉川芳秋[あき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [あき]
  1. (n-adv) autumn 2. fall 

吉川芳秋 : ウィキペディア日本語版
吉川芳秋[あき]

吉川 芳秋(よしかわ よしあき)は愛知県郷土史家江戸時代尾張藩で発展した医学洋学本草学に係る人物の事跡等を研究した。
== 生涯 ==
1908年(明治41年)10月10日、愛知県中島郡千代田村氷室(稲沢市字氷室)の農家吉川秦五郎の三男三女の次男として生まれた〔遠藤(1993)〕。2歳の時、父の弟の建築業者吉川貞一養子となり、名古屋市東区長堀町に移った〔。名古屋市立第一幼稚園、名古屋市立白壁小学校を経て、名古屋市立名古屋商業学校在学中、梅村甚太郎を介して知り合った小島清三と中京植物学会を設立し、主宰として1924年(大正13年)7月『植物界』、1928年(昭和3年)1月『サイエンス』を創刊した〔。
1930年(昭和5年)6月自宅でCA趣味社を設立しCA趣味社叢書を出版、1933年(昭和8年)名古屋市立名古屋図書館青山兵次とむかしの会を結成し、例会を定期開催した〔。これらの活動がNHK名古屋放送局の目に止まり、1934年(昭和9年)1月16日「郷土の偉人伊藤圭介翁を偲んで」、1935年(昭和10年)4月24日「シーボルト熱田宮駅」の放送を行った〔。1937年(昭和12年)2月名古屋汎太平洋平和博覧会委員、1942年(昭和17年)4月愛知県科学技術振興会物故科学者顕彰材料蒐集委員〔。1945年(昭和20年)10月むかしの会が他団体とともに名古屋郷土文化会に統合され、理事に就任した〔。
1967年(昭和42年)頃より緑内障、1978年(昭和53年)頃より座骨神経痛を患い、1992年(平成4年)11月9日肺炎のため死去した〔。蔵書は妻吉川たい子により東山動植物園に寄贈された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「吉川芳秋」の詳細全文を読む




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