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吉川 芳秋(よしかわ よしあき)は愛知県の郷土史家。江戸時代尾張藩で発展した医学、洋学、本草学に係る人物の事跡等を研究した。 == 生涯 == 1908年(明治41年)10月10日、愛知県中島郡千代田村氷室(稲沢市字氷室)の農家吉川秦五郎の三男三女の次男として生まれた〔遠藤(1993)〕。2歳の時、父の弟の建築業者吉川貞一養子となり、名古屋市東区長堀町に移った〔。名古屋市立第一幼稚園、名古屋市立白壁小学校を経て、名古屋市立名古屋商業学校在学中、梅村甚太郎を介して知り合った小島清三と中京植物学会を設立し、主宰として1924年(大正13年)7月『植物界』、1928年(昭和3年)1月『サイエンス』を創刊した〔。 1930年(昭和5年)6月自宅でCA趣味社を設立しCA趣味社叢書を出版、1933年(昭和8年)名古屋市立名古屋図書館に青山兵次とむかしの会を結成し、例会を定期開催した〔。これらの活動がNHK名古屋放送局の目に止まり、1934年(昭和9年)1月16日「郷土の偉人伊藤圭介翁を偲んで」、1935年(昭和10年)4月24日「シーボルトと熱田宮駅」の放送を行った〔。1937年(昭和12年)2月名古屋汎太平洋平和博覧会委員、1942年(昭和17年)4月愛知県科学技術振興会物故科学者顕彰材料蒐集委員〔。1945年(昭和20年)10月むかしの会が他団体とともに名古屋郷土文化会に統合され、理事に就任した〔。 1967年(昭和42年)頃より緑内障、1978年(昭和53年)頃より座骨神経痛を患い、1992年(平成4年)11月9日肺炎のため死去した〔。蔵書は妻吉川たい子により東山動植物園に寄贈された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉川芳秋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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