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吉年 滝徳(よしとし たきのり、1977年10月13日 - )は、岡山県総社市出身の元プロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == 小学校1年生の時に地元のスポーツ少年団で軟式野球を始めた〔朝日新聞、1995年11月23日付朝刊、岡山地方面〕。総社西中学から関西高校に進み、毎日150球の投げ込みでスタミナを強化して2年夏にはエースとなり〔朝日新聞、1994年6月28日付朝刊、岡山地方面〕、選手権大会に出場。1回戦の対八戸戦では13奪三振を記録した〔朝日新聞、1994年8月16日付朝刊、岡山地方面〕が、2回戦で佐賀商に敗れた。同年末にはAAAアジア選手権代表として遠征に参加し、制球力などが成長した〔朝日新聞、1995年2月28日付朝刊、岡山地方面〕。 3年春の選抜大会では大会屈指の左腕と評され〔朝日新聞、1995年4月2日付朝刊、岡山地方面〕、初戦の対清陵情報戦では毎回の13奪三振を記録して完投勝利〔asahi.com 第67回選抜高校野球大会 関西 対 清陵情報 〕。2回戦では報徳学園を5安打完投で破り〔asahi.com 第67回選抜高校野球大会 関西 対 報徳学園 〕、ベスト4に進出。しかし大会に入ってから投球フォームを変更したことで準々決勝の途中から左ひじと背中に張りを感じ〔毎日新聞、1995年4月5日付朝刊、P.19〕、準決勝で久保尚志を擁する観音寺中央に敗れた。2季連続となった選手権大会では1回戦で天野勇剛を擁する仙台育英を破り、宮島工との2回戦では2安打完封勝利を挙げる〔asahi.com 第77回全国高校野球選手権大会 関西 対 宮島工 〕。3回戦で山本省吾を擁する星稜に敗れた。 同年のドラフト会議にて広島東洋カープから2位指名を受け、契約金と年俸それぞれ7,000万円、500万円(いずれも推定)で入団〔朝日新聞、1995年11月29日付朝刊、P.29〕。担当スカウトは佐伯和司で、同年ドラフト1位の長谷川昌幸と将来の左右のエース候補として期待されていた〔読売新聞、1995年11月23日付朝刊、P.17〕。入団会見では大野豊を目標に挙げている〔朝日新聞、1995年12月25日付朝刊、広島地方面〕。 在籍3年目の5月22日、対横浜戦で敗戦処理として1回を投げ、無死満塁から押し出しを出すものの、その1点のみに抑えた。しかし、その後はサイドスローに転向や、またオーバースローに戻すなどフォームを試行錯誤を繰り返し、同年の4登板のみ(6月27日に代走で出場あり)で、翌は1軍登板のないまま戦力外通告を受けた。引退後は打撃投手をつとめていたが、靭帯を痛め、スコアラーに転身した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉年滝徳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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