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吉弘 充志(よしひろ みつゆき、1985年5月4日 - )は、山口県下松市出身のサッカー選手(DF)。 == 来歴 == 中学3年生の時、サンフレッチェ広島ユースのセレクションを受けたが〔当時のポジションはトップ下〕 合格せず、広島皆実高校へ進学〔高校の2年後輩に森重真人。1年先輩に木村允彦。〕。1年生からレギュラーCBに定着、3年生次の2003年には主将となり、全国高校選手権でベスト16に輝いた。同年7月に特別指定選手として広島に登録。 2004年に広島とプロ契約を結んだ〔同期入団は、青山敏弘、田村祐基。〕。同年、持ち前のスピードを活かしてエメルソンのマークに付くなど信用を得た。翌2005年は負傷で出遅れるも、練習での好パフォーマンスから終盤には信用を回復、最終戦に途中試合出場。2006年はレギュラーをほぼつかんでいたが、同年7月1日、セレッソ大阪との練習試合中ゼ・カルロス選手と激突し、「中心性頸髄損傷」の大怪我を負い、一時は選手生命を危ぶまれた。手術を行い、12月2日の清水エスパルス戦で途中出場ながら復帰を果たす。その後は、プレースタイルと監督の戦術との不一致、盛田剛平や槙野智章の台頭により、再び出場機会が減少。 2008年より、コンサドーレ札幌へ完全移籍。1年目は出場機会に恵まれなかったが、2年目の2009年以降はレギュラーに定着し活躍した。しかし2010年のシーズン終了後、コストカットのために札幌から契約非更新となる。 2011年より、愛媛FCに完全移籍。プロ初ゴールを挙げたものの、僅か8試合の出場に留まり12月2日に戦力外通告を受ける。 2012年より、東京ヴェルディ1969に移籍。だが出場は2試合のみに終わり、1年で退団。12月26日、FC町田ゼルビアへ移籍。2013年シーズン終了後、契約満了により退団。 2014年3月、レノファ山口FCへ移籍 も1年で退団。 2015年、MIOびわこ滋賀へ移籍。 2016年、FCマルヤス岡崎へ移籍〔吉弘充志選手 退団・移籍先決定のお知らせ - 2016年1月6日 MIOびわこ滋賀公式サイト〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉弘充志」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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