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吉本平之助 : ミニ英和和英辞書
吉本平之助[すけ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [これ]
 (int,n) (uk) this
: [すけ]
 (n) assistance

吉本平之助 ( リダイレクト:吉本祐雄 ) : ウィキペディア日本語版
吉本祐雄[よしもと すけお]
吉本 祐雄(よしもと すけお、生年不詳 - 1884年明治17年)4月4日〔大植四郎『明治過去帳』187頁。国立公文書館所蔵「判事吉本祐雄病死ノ件」(本館-2A-010-00・公03882100)。〕)は、江戸時代後期の土佐藩士勤皇志士。明治初期の近衛兵、明治時代の裁判官。
迅衝隊士。通称は吉本平之助(へいのすけ)。
== 来歴 ==

=== 土佐勤王党以降 ===
祐雄は、平素より盡忠尊皇の念があって、学んでは益々その志を篤くした。しかるに、神君以来の徳川恩顧の土佐藩は、藩論の主流は佐幕にあり、公議政体論を唱える参政吉田東洋らとは意見が合わず、事ここに及んで土佐勤王党は密議して、瑞山の指示のもと、河野敏鎌(万寿弥)、弘瀬健太安岡正美らをして、吉田東洋を暗殺せしむるに至る。これは時に1862年5月6日文久2年4月8日)のことである。
この暴挙によって、藩政は東洋派の新おこぜ組に属する福岡孝茂(宮内)、真辺正心(栄三郎)、後藤象二郎らを失脚せしめた。
祐雄は、同年7月(旧暦6月)土佐藩主・山内豊範の時代、参勤交代に随行し大坂滞在中、一藩勤皇を掲げる武市瑞山に共鳴し土佐勤王党に加盟するが、翌年1863年9月30日(文久3年8月18日京都政変が起こるや土佐藩内は佐幕派が巻き返し、公議政体論を唱える山内容堂の威光に圧されて、急進的な武力討幕を目指す土佐勤王党は難を受ける。
同年10月21日(旧暦9月21日)、吉田東洋暗殺の事が露顕して首領武市瑞山が縛につくや、志士らも多くは捕えられ、あるいは土佐より脱藩を試みる者も顕はれた。祐雄は、身を藩内に留めて、獄中の志士を釈放せんが為に奔走するも、容易ならざる事態のまま、1864年元治元年)を迎え、同年11月16日(旧暦10月17日)、長州征伐に際して土佐藩主・山内豊範は大坂表の警備を幕閣より命ぜられ、祐雄も藩命を受けて大坂へ滞留した。
しかして、1865年7月3日(元治2年閏5月11日)、裁きが下りて瑞山が割腹し、獄中の志士は「永牢(終身禁固刑)」を仰せ付けらる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「吉本祐雄」の詳細全文を読む




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