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吉村 公三郎(よしむら こうざぶろう、1911年9月9日 - 2000年11月7日)は、昭和期の映画監督である。兄はフランス文学者の吉村正一郎。4人の子供を儲け、長男は元NHK解説委員の吉村秀實。映画監督の西村昭五郎は、いとこ。 == 生涯・人物 == === 生い立ち === 滋賀県大津市膳所生まれ〔『京の路地裏』P.258-260〕〔『キネマの時代 監督修業物語』P.12-31〕〔『映画は枠(フレーム)だ! 吉村公三郎人と作品』P.12-23、274-276〕。吉村家は、同県坂田郡山東町の中山道で代々脇本陣を営んでいた〔。父・吉村平造は大阪朝日新聞社の政治記者から、保険会社重役などを経て、大阪市助役、第11代広島市長(在任1915年1月~1916年12月)を務めたため、これに伴い2歳から京都市下京区で、4歳時は広島市大手町で育った〔〔。広島を発つ前の晩、家族で萬代橋のたもとにあった映画館で映画を初体験。チャップリンの映画に感銘を受けたことが映画を志す切っ掛けだったという〔。その後も父の転職により、4歳から11歳まで再び京都で、11歳から12歳まで東京向島で育つが、関東大震災により、父の郷里・滋賀県山東町に転居〔。1924年岐阜県立大垣中学(現・岐阜県立大垣北高校)に入学。しかし、中学4年の時、教師排斥を問われ同校退学〔。東京の私立日本中学(現・日本学園高校)に転校し、翌年に卒業。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉村公三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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