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吉村 真晴(よしむら まはる、1993年8月3日 - )は、日本の卓球選手。 == 人物 == 1993年8月3日、茨城県那珂郡東海村出身。父は日本人、母はフィリピン共和国出身であり、名前の真晴(マハル)はタガログ語で『愛する』を意味する言葉である〔 水谷止めた! 高校生吉村が初優勝/卓球 日刊スポーツ 2012年1月23日閲覧参照〕。 卓球には幼稚園児当時から興味を持ち始め、小学校入学と同時に始めた。吉村の父親が元卓球選手で、地元東海村でジュニア世代専門の東海クラブを指導していたことから、吉村も父の指導により厳しく鍛えられた。 中学校は宮城県多賀城市の秀光中等学校へ進学。中学校3年時に山口県山口市の野田学園中学校へ転校、その後に野田学園高等学校に進学した。 高校3年生となった2011年になると、2月のジャパントップ12卓球大会に出場し、張一博を準決勝で下して決勝に進出、決勝戦で水谷隼の前に敗れはしたが準優勝を果たすと、アジアジュニア卓球選手権(・ニューデリー)男子シングルスで日本人選手として初優勝を飾り、世界ジュニア卓球選手権(・マナーマ)では男子シングルス/男子ダブルス3位の好成績を挙げるなどの躍進ぶりが際立った。 2012年1月に開催された平成23年度全日本卓球選手権大会では、準々決勝で森本耕平、準決勝で松平健太を破り決勝進出を決めると、決勝では前年のジャパントップ12で敗れた水谷隼と対戦。試合はファイナルゲームの3-3まで縺れ込む互角の展開。しかしエッヂ、サーブミスで流れが水谷隼に傾き、10-7でマッチポイントを握られて瀬戸際まで追い詰められたものの、そこでタイムアウトをとった吉村は、後がない状況の中、今まで出したことのないミドルトスサービスからの速攻で再び流れを呼び込み、5本連取し、ゲームカウント4-3で勝利し、高校生として2人目の全日本王者に輝いた〔全日本卓球:吉村、2人目の高校生王者 水谷の6連覇阻む 毎日新聞 2012年1月22日閲覧〕。 2012年4月からは愛知工業大学へ進学。 2012年第51回世界卓球選手権団体戦ドルトムント大会、2013年第52回世界卓球選手権個人戦パリ大会の日本代表に選出される 2015年スペインオープンで初のプロツアー大会優勝 2015年第53回世界卓球選手権個人戦蘇州大会で、38年ぶりとなる混合ダブルス銀メダルを獲得する〔⽇本代表/国際卓球⼤会参加選⼿ 〕。 2015年 馬龍、許昕、樊振東と、世界4強選手のうち3人が出場し非常にハイレベルな大会となったジャパンオープンで、1回戦では大会時世界ランキング19位の鄭栄植、2回戦では大会時世界ランキング11位の唐鵬、そして準々決勝では大会時世界ランキング5位の日本のエース水谷隼に勝ち進んできた大会時世界ランキング16位の朱世爀といった、世界ランキング10位代の強豪選手を3人連続で破り、準決勝では大会時世界ランキング1位の馬龍に勝利して勝ち上がった中国選手の尚坤に劇的な勝利を収め、決勝では許昕に敗れたものの、6人の中国選手と世界のトップ選手が出場する中で大会時世界ランキング30位の吉村が準優勝にまで割り込むという、異例の成績を残した。 2015年ジャパンオープン後の世界ランキングは自己最高となる20位にまで上がり、世界ランキングで村松雄斗、松平健太を追い抜き、水谷隼、丹羽孝希に次ぐ日本人で3番目となった。2015年9月の世界ランキングでは18位と国内選手では3番目を維持したことから、9月19日にリオデジャネイロオリンピックの3人目の代表に決定した〔卓球男子団体代表候補に吉村真晴を選出 - デイリースポーツ、2016年3月11日閲覧〕〔男子卓球部 吉村真晴選手 2016リオ五輪出場内定! - 愛知工業大学、2016年3月11日閲覧〕。 2016年の世界卓球では団体戦のメンバーに選ばれ銀メダルを獲得。3月のカタールオープンではオリンピックを見据えた丹羽孝希とのダブルスで馬龍(世界ランク1位)/許昕(世界ランク3位)の中国ペアを破る金星を挙げた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉村真晴」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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