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吉橋 伸雄(よしはし のぶお、1982年5月25日 - )は、日本の男性プロレスラー。新日本プロレス所属。愛知県愛知郡出身。血液型はO型。現在はローマ字表記のYOSHI-HASHIのリングネームで活動している。妻は元女子プロレスラーの栗原あゆみ。 == 来歴 == 学生時代はレスリングとサンボに打ち込み、闘魂ショップ名古屋店併設の闘魂ジム入門。その後プロレスラーを目指し、22歳のときアニマル浜口ジムでプロレス基礎を学ぶ。 2005年、後楽園ホールで行なわれた入門テストを受けたが、不合格(同期の内藤哲也は合格を果たした)。 不合格後、4月に行なわれた第15回高田道場主催の「サブミッションレスリング大会」に出場する。敗れはしたものの、大会優秀選手に選ばれた〔。2007年2月に開催された新日本入門テストを受け、合格を果たし、同団体に入団する〔。 2008年7月6日、後楽園ホールにて同期である内藤哲也戦で第0試合として晴れてデビューを果たす〔。また、2日目は岡田かずちか、3日目は平澤光秀と全て第0試合として対戦した。いずれも惨敗であったが「今日の痛みと悔しさは忘れません」と将来の巻き返しを誓った。そして7月13日、前橋大会で初めて第1試合のリングを踏んだ。 2009年1月4日の東京ドーム大会に第0試合で初参戦を果たすもののその後は進展が全く無く光に当たらなかった。ところが、12月2日、金本浩二と組みIWGPジュニアタッグ次期挑戦者だった邪道、外道との試合で、パートナーの金本が放ったミドルキックにより外道が脳震盪を起こす。後日、外道は医師から1週間の安静が言い渡され、タイトルマッチのカードも変更となり、デビュー1年150日で急遽代行挑戦者としてIWGPジュニアタッグに初挑戦〔。最後は王者チーム田口隆祐、プリンス・デヴィットの合体技、ブラックホールバケーションで敗北。敗れはしたものの、口から血を吐く姿からヤングライオンの意地を見せ付けた。 2010年6月に開催されたBEST OF THE SUPER Jr.に初出場を果たしAKIRAからピンフォールを奪い金星を奪取〔。シリーズ最終戦にて無期限海外遠征の為メキシコに飛び立つ。現地CMLLでは顔にペイントを入れたヒールレスラーとして活動。2011年8月1日にはアレナプエブラでルーシュとのマスカラ・コントラ・マスカラで破れ坊主になる。12月、東京ドームでの凱旋試合に伴い、1年半振りに日本に帰国。東京スポーツのインタビューで「新日本に見捨てられた」という理由でヒールユニットCHAOSに加入とヘビー級転向を表明〔。 2012年1月4日、同じくアメリカ合衆国のプロレス団体TNAから凱旋帰国したオカダ・カズチカとのダブル凱旋帰国試合に挑むもレインメーカー(現在とは別の形)でピンフォール負けを献上。 4月1日から開催されるNEW JAPAN CUPに初エントリーし、1回戦でラ・ソンブラと対戦したが、敗北を喫する。 2012年からは凶器として如意棒のような長い棒を持ち込む。 2014年9月6日、後楽園ホール大会のCHAOS対BULLET CLUBのイリミネーションマッチでCHAOSの勝利に大貢献する。かつての同門の先輩である高橋裕二郎をスワントーンボムを決め勝利した後オカダとのタッグでIWGPタッグ王座挑戦とNEVER無差別級王座への挑戦を表明したがタッグではオカダとのタッグで挑戦も高橋の介入で奪取に至らず、NEVERも奪取に至らなかった。 2015年のNEW JAPAN CUPにエントリーされ、1回戦、高橋裕二郎とぶつかり優勢であった試合展開だった。しかし急所攻撃で失速。東京ピンプスを返したものの最後はマイアミ・シャインでピンフォール負けとなった。 翌年もエントリーされ内藤哲也との1回戦、互角の試合展開を見せたが最後は変形パワーボムからデスティーノと畳み込まれピンフォール負けで2回戦進出とはならなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉橋伸雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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