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吉武 恵市(よしたけ えいち、1903年2月25日 – 1988年2月3日)は、昭和期の政治家・官僚。労働大臣・厚生大臣・自治大臣。 ==経歴== 山口県萩市に生まれる。萩中学、旧制五高を経て、1928年東京帝国大学法学部政治学科を卒業、内務省に入省する。京都府保安課長、東京都官房人事課長を経て、1945年官選富山県知事となる。この間、労働問題について勉強を重ね、戦後はその努力を買われて厚生省労政部長(1946年)、労働省初代事務次官(1947年)となる。 1949年、第24回衆議院議員総選挙に吉田茂率いる民主自由党から旧山口1区にて立候補し当選する。以後衆院当選3回(当選同期に池田勇人・佐藤栄作・岡崎勝男・前尾繁三郎・橋本龍伍・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・藤枝泉介・木村俊夫・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・床次徳二・有田喜一など)。自由党政務調査会長を経て、1951年第3次吉田内閣第3次改造内閣で労働大臣として入閣、翌1952年からは厚生大臣も兼任した。 1959年からは自民党公認で参議院山口選挙区に転じ、第3次池田内閣改造内閣(1964年)にて自治大臣となり、また参院自民党幹事長等を歴任した。参院議員を3期務め、1977年政界を引退する。後任は元山口県知事、元衆議院議員の小沢太郎。 保守党の労政通議員にありがちな、ハッタリめいた労政や労組との対決姿勢の誇示などとはおよそ縁遠い、堅実な姿勢で支持を得た。1974年勲一等旭日大綬章受章。 1988年2月3日、脳梗塞により死去。享年84。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉武恵市」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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